就職後小説を書く
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江東区立深川第四中学校卒業。1979年東京都立墨田川高等学校を卒業する。卒業後、2年間のOL勤務の間に裁判所速記官試験(現在養成中止)に不合格、中根速記学校で速記を学び速記検定1級を取得する。1981年21歳から法律事務所に5年間勤務し、和文タイプライターのタイピストを担当。法律事務所は新宿歌舞伎町にあり、顧問になっている店も風俗店が多かった。5回の破産企業の管財人就任の時以外は空き時間が多く、留守番時には速記のアルバイトも許されて『判例時報』などを読んでいた。 10代からの海外ミステリに続き、当時日本のミステリも読むようになる。映画の影響もあり自分も何かを書いてみたいという気持ちがわくが、うまくいかず、参考に買った本もヒッチコック、トリュフォー共著の『映画術』だった。初歩習作『最初の依頼人』36枚を書く。 1983年23歳のとき、ワープロ購入をきっかけに本格的に小説を書き始める。勤務後に家でワープロの練習を始めたが、ある日突然何かを打ち始め、それが止まらなかった。やがて打っているのが小説だと分かり、連日毎晩深夜まで睡眠時間を削り打ち続け、腕まで痛くなって親にも叱られたが止まらず、それが最初の小説で、「ミヤベミユキという小説家はワープロ様抜きでは生まれなかった」と記している。ただし、その小説は発表されていない。1984年から雑誌広告で知った講談社フェーマススクール・エンタテイメント小説作法教室に1年半通い(高額授業料のため期末まで残り、半年は各回打上のみ参加)、山村正夫、南原幹雄、多岐川恭の講師と石川喬司、阿刀田高のゲスト講師に学ぶ。同教室の1989年の受講生に、篠田節子がいる。 この頃まではプロになるなど思っていなかった。
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