小学校付属沼津文庫 (1888-1945)
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「沼津市立図書館」の記事における「小学校付属沼津文庫 (1888-1945)」の解説
1940年時点の沼津市域の公立図書館設置時期文庫名所在地蔵書数(冊)閲覧者数(人)1888年(明治21年) 沼津文庫 沼津第一国民学校内 9,053 165 1915年(大正4年) 村立内浦文庫 内浦国民学校内 168 1,667 1922年(大正11年) 楊原文庫 沼津第二国民学校内 764 735 1924年(大正13年) 村立西浦文庫 西浦国民学校内 563 141 1924年(大正13年) 浮島村立森文庫 浮島青年学校内 1,080 40 1934年(昭和9年) 金岡村立図書館 金岡国民学校内 135 1,083 1935年(昭和10年) 村立図書館片浜文庫 片浜村役場内 623 3,060 沼津尋常小学校(現・沼津市立第一小学校)の校長を務めていた間宮喜十郎は1875年(明治8年)から1876年(明治9年)頃に書籍館の開設を模索した。寄付や購入によって和漢書の収集を進め、尋常小学校の一室に保管していたが、この時には書籍館の開設は実現しなかった。1888年(明治21年)7月6日には沼津本町外三ヶ町の戸長である山形敬雄が静岡県知事に対して文庫設置の伺いを出し、7月28日付で認可された。8月には山形と間宮が発起人となって沼津尋常小学校付属沼津文庫の設立趣意書を発表し、10月10日に尋常小学校附属図書館として沼津文庫が開設された。沼津文庫は静岡県で初めて設立された公立図書館とされる。 名目は尋常小学校附属図書館であったものの、設置目的は「和漢洋ノ書籍ヲ蒐集シ廣ク衆庶ノ閲覧ニ供シ教育ノ裨補ヲ諮ル者トス」であり、その意図したところは一般の人々を対象とした図書館だった。開館時間は8時から17時であり、休館日は毎月第一月曜日と毎年12月26日から1月7日までだった。設立趣意書には看守人(年俸30円)1人と書記(年俸20円)1人の存在や、利用者は1日1銭の借覧料を支払うことが記されていたが、実際はどのようだったかは定かでない。 開設当初の蔵書数は506点だったが、1年が経過した1889年(明治22年)12月には1,068点となった。1937年(昭和12年)には1,561点5,656冊、1940年(昭和15年)には9,053冊となった。同時期の沼津市域には7つの公立図書館があり、沼津文庫は閲覧人員こそ少なかったものの、蔵書数は群を抜いて多かった。当初は第一小学校内の部屋を間借りしていたが、やがて第一小学校の校庭にある道喜塚の西側に独立した建物が建設された。太平洋戦争時には沼津文庫の蔵書が分散疎開された。戦争末期の1945年(昭和20年)7月17日に受けた沼津空襲によって、沼津文庫の建物は焼失した。
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