小学校付属沼津文庫とは? わかりやすく解説

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小学校付属沼津文庫 (1888-1945)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 07:11 UTC 版)

沼津市立図書館」の記事における「小学校付属沼津文庫 (1888-1945)」の解説

1940年時点沼津市域の公立図書館設置時文庫名所在地蔵書数(冊)閲覧者(人)1888年明治21年沼津文庫 沼津第一国民学校内 9,053 165 1915年大正4年村立内浦文庫 内浦国民学校168 1,667 1922年大正11年楊原文庫 沼津第二国民学校内 764 735 1924年大正13年村立西浦文庫 西浦国民学校563 141 1924年大正13年浮島村文庫 浮島青年学校内 1,080 40 1934年昭和9年金岡村図書館 金岡国民学校135 1,083 1935年昭和10年村立図書館片浜文庫 片浜村役場623 3,060 沼津尋常小学校(現・沼津市立第一小学校)の校長務めていた間宮喜十郎1875年明治8年)から1876年明治9年)頃に書籍館開設模索した寄付購入によって和漢書収集進め尋常小学校一室保管していたが、この時には書籍館開設実現しなかった。1888年明治21年7月6日には沼津本町三ヶ町戸長である山形敬雄が静岡県知事に対して文庫設置伺い出し7月28日付で認可された。8月には山形間宮発起人となって沼津尋常小学校付属沼津文庫の設立趣意書発表し10月10日尋常小学校附属図書館として沼津文庫開設された。沼津文庫静岡県初め設立され公立図書館とされる名目尋常小学校附属図書館であったものの、設置目的は「和漢洋書籍蒐集シ廣ク衆庶閲覧ニ供シ教育裨補ヲ諮ル者トス」であり、その意図したところは一般の人々対象とした図書館だった。開館時間は8時から17時であり、休館日は毎月第一月曜日毎年12月26日から1月7日までだった。設立趣意書には看守人(年俸30円)1人と書記(年俸20円)1人存在や、利用者1日1銭の借覧料を支払うことが記されていたが、実際どのようだったかは定かでない開設当初蔵書数506点だったが、1年経過した1889年明治22年12月には1,068点となった1937年昭和12年)には1,561点5,656冊、1940年昭和15年)には9,053冊となった同時期の沼津市域には7つ公立図書館があり、沼津文庫閲覧人員こそ少なかったものの、蔵書数群を抜いて多かった当初第一小学校内の部屋間借りしていたが、やがて第一小学校校庭にある道喜塚の西側独立した建物建設された。太平洋戦争時には沼津文庫蔵書分散疎開された。戦争末期1945年昭和20年7月17日受けた沼津空襲によって、沼津文庫建物焼失した

※この「小学校付属沼津文庫 (1888-1945)」の解説は、「沼津市立図書館」の解説の一部です。
「小学校付属沼津文庫 (1888-1945)」を含む「沼津市立図書館」の記事については、「沼津市立図書館」の概要を参照ください。

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