家康の回りの女性とは? わかりやすく解説

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家康の回りの女性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 09:55 UTC 版)

葵 徳川三代」の記事における「家康の回りの女性」の解説

於大(おだい) 演:山田五十鈴 家康生母伏見城にて家康看取られながら亡くなった阿茶局(あちゃのつぼね) 演:三林京子 家康側室秀忠忠吉養母。名は須和。元は、武田家遺臣の娘で今川家家臣の妻でお亀同様、後家にして連れ子あり。夫の死後家康頼って浜松城移り家康側室召し出された。大坂冬の陣では徳川方和議使者務める。家康死後大奥居住し、和姫の後見役となる。宮中では民部卿の名を賜る家康にも堂々と軽口叩け度量があり、家康からは年増であることをからかわれて「枯れ木」や「枯れススキ」や「枯れ雄花」と呼ばれる於万の方(おまんのかた) 演:長内美那子 家康側室、秀康生母。元は、家康正室築山殿侍女家康死後長勝院称し越前北庄城居住する西郡局(にしごおりのつぼね) 演:岩本多代 家康側室督姫生母。 於阿の方(おちゃあのかた) 演:五大路子 家康側室、忠輝生母。元は、町家出で鍛冶屋女房連れ子がある。息子を思うあまり家康何度も意見し、かえって疎んじられる。家康死後朝覚院称し江戸市内居住するお亀の方(おかめのかた) (お亀の方相応院) 演:床嶋佳子 家康側室、仙千代義直生母。元は、京の神官の娘で阿同様、後家連れ子がある。家康に名前をお夏お梶とよく間違えられる家康死後相応院称し尾張名古屋城赴く英勝院えいしょういん) (お梶の方英勝院) 演:森口瑤子 家康側室市姫生母、頼房養母太田道灌の子孫。一時子供出来ないことを理由に、松平正綱下げ渡されたが、その直後妊娠発覚し家康元に戻った家康死後英勝院称し江戸城三の丸居住するお万の方(おまんのかた) (お万の方養珠院) 演:尾上紫 家康側室、頼宣・頼房生母家康死後養珠院称し駿府の頼宣の元に住むことになる。 お夏の方(おなつのかた) (お夏の方→清雲院) 演:松尾あぐり 家康側室長崎奉行長谷川藤広の妹。家康死後清雲院称し江戸城三の丸脇の屋敷居住するお六(おろく) (お六養儼院) 演:菊池麻衣子 家康側室。元はお梶部屋子侍女であったが、家康寵愛を受ける。家康死後養儼院称し田安門内の比丘尼屋敷に居住する振姫(ふりひめ) 演:未來貴子 家康三女陸奥若松城主・蒲生秀行嫁いだが、死別したその後紀伊和歌山城主・浅野長晟再婚する。しかし産後の肥立ち悪く病没する。34話では名前のみ登場する。 市姫いちひめ) 演:黒沢朋世 家康五女。母は、お梶。父・家康宮中への入内画策したが、幼少病没した。そのお鉢秀忠の五女の和子(まさこ)に回ってくることとなる。なお、史実では伊達政宗嫡男・虎菊丸(のちの忠宗)と婚約している。

※この「家康の回りの女性」の解説は、「葵 徳川三代」の解説の一部です。
「家康の回りの女性」を含む「葵 徳川三代」の記事については、「葵 徳川三代」の概要を参照ください。

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