守矢氏と神氏とは? わかりやすく解説

守矢氏と神氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 17:13 UTC 版)

ミシャグジ」の記事における「守矢氏と神氏」の解説

諏訪大社上社かみしゃ)と下社(しもしゃ)という2つ神社成り立っている。諏訪湖南岸位置する上社にはかつて大祝(おおほうり)と呼ばれる最高位神官と、そのもと置かれた5人の神職奉仕していた。諏訪氏神氏)から出た上社大祝古く祭神建御名方神諏訪明神)の生ける神体とされ、現人神として崇敬された。 その大祝補佐して神事司ったのは守矢氏出身神長(かんのおさ、後に神長官(じんちょうかん)ともいう)である。神長大祝即位式含め上社の神事の秘事伝え神事の際にミシャグジ降ろした上げたり、または依代となる人や物に憑けたりすることができる唯一の人物とされた。 諏訪地域に伝わる諏訪明神の入諏神話によると、建御名方神諏訪進入した際に地主神洩矢神と相争った洩矢神戦い負けて建御名方神仕える者となったという。守矢氏洩矢神後裔で、神氏諏訪明神後裔とされた。 地元郷土史家はこの神話諏訪起こった祭政交代という史実反映していると考えている。この説においては外来氏族神氏)が諏訪盆地統率し在地豪族守矢氏)を制圧して、諏訪新し支配者となるが、守矢氏祭祀司る氏族として権力維持した。この出来事諏訪上社祭祀体制始まりとされている。この権力交代劇時期については諸説あり、諏訪流入した神氏稲作技術もたらした出雲民族弥生人)とする説や、金刺氏科野国造家、後に諏訪下社大祝家)の分家、または大神氏一派あるいは同族とする説がある。後者場合政権交代劇を下伊那地方開花した馬具副葬古墳文化諏訪地域出現した時期6世紀末~7世紀初頭)によく当てはめられる。 なお、入諏神話中世成立した説話で、考古学的知見結びつけるべきではないとする見解もある。洩矢神中世の文献では「守屋大臣」という名前で登場することから、入諏神話中世広く流布していた聖徳太子物部守屋争い丁未の乱)にまつわる伝承影響受けている、あるいはその伝説をもとにして造作されたものという説が挙げられている。

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