宇宙開発競争の幕開け
1957年、世界最初の人工衛星スプートニク1号が打ち上げられた
1957年10月、旧ソ連は2段式のA型ロケットによって、世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、地球を回る軌道(きどう)にのせることに成功しました。この快挙に世界中が驚き、旧ソ連と「冷たい戦争」のさなかにあったアメリカは衛星打ち上げの準備を急ぎましたが、1ヵ月後、旧ソ連はライカ犬を乗せたスプートニク2号を打ち上げ、さらにその6ヵ月後には重さ1.3tもあるスプートニク3号を軌道にのせて、アメリカを一歩リードしました。
旧ソ連に続き、アメリカもエクスプローラ1号で宇宙空間へ進出
旧ソ連に先をこされたアメリカは、海軍が開発したバンガードロケットによる人工衛星の打ち上げを試みますが、失敗に終わりました。当時のアイゼンハワー大統領は陸軍のフォン・ブラウンのチームに打ち上げを命じ、3ヵ月後の1958年1月、アメリカはジュピターCロケットによる14kgの人工衛星エクスプローラ1号の打ち上げに成功しました。こうして、旧ソ連に続いてアメリカも宇宙に進出し、米ソ両国による宇宙開発競争がはじまったのです。
米ソの宇宙開発競争を陰でささえたドイツV2ロケットの技術者たち
宇宙開発は、アメリカと旧ソ連の競争を中心に展開しましたが、それをささえたのはドイツのV2ロケットの技術者たちでした。アメリカと旧ソ連は、戦争に負けたドイツから技術者とともに多くの資料を持ち帰りました。V2開発の電気部分のリーダーだったグレルトップは、旧ソ連でセルゲイ・コロリョフにその技術を伝えてスプートニクの誕生をみちびきました。また、V2の中心人物であるフォン・ブラウンは、アメリカでエクスプローラ1号の打ち上げを成功させました。米ソの国家威信をかけた開発競争は、1957年から1969年の12年間にわたって続きました。
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