女子サッカーに対する規制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 16:08 UTC 版)
「フットボール・アソシエーション」の記事における「女子サッカーに対する規制」の解説
1921年から1970年の約50年にわたり「フットボール(サッカー)は男子のスポーツ」、「フットボール(サッカー)は女性の健康を損なう」といった主張を根拠としてFAは女子チームへのグラウンドの貸し出しを禁止し、イングランドにおける女子サッカーの普及を妨げた。詳しい経緯は次の通りである。 1914年に第一次世界大戦が勃発すると、志願兵あるいは徴用兵として戦地に赴いた男性に代わって女性が工場などで働くようになり、昼休みなど労働時間の合間にサッカーを行うようになった。その後、イングランドの各地にアマチュアの女子クラブが誕生しチャリティー目的で対外試合を行うようになると徐々に人気を博するようになり、スター選手も輩出するようになった。第一次世界大戦は1918年に終了したが、女子サッカーの人気は衰えず、2年後の1920年12月26日に、第一次世界大戦の犠牲者への支援金集めの目的で女子サッカーのチャリティー試合がリヴァプールで開催された。この試合は5万3000人の観客を動員し、今日の貨幣価値(2011年)に換算して約5000万円の支援金を集めた。 第一次世界大戦が終了して男子プロサッカーが再開しても女子サッカーの人気が衰えないことを危惧した男子プロサッカーのクラブ役員の中には、女子サッカーのクラブが寄付に回す金額が不透明であるなどといった風説を流布したり、自身で雇い入れた医者に「女子サッカー選手は子どもを産めない」という科学的根拠に乏しい報告を発表させる者も現れた。その後、1921年12月にはFAの名で女子チームへのグラウンド貸し出しについての禁止令が発令された。英国特有の女性蔑視もあり、禁止令が解除されたのはそれから約50年後の1970年のことであった。 2008年、FAはこの禁止令発令に関して公式に謝罪し、同時に禁止令を出す以前のトップスター選手だったリリー・パーを女性選手として初めてFAの「サッカーの殿堂」に加えた。約50年続いた女子サッカーへの規制の影響から、長い間イングランドにおける女子サッカーの地位は低いものに留まり続けた。しかし1971年の女子サッカーへの規制解除から40年後の2011年、アマチュアの女子スーパーリーグが開幕した。
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