大牟田線時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 01:24 UTC 版)
313形編成表(製造当初) ← 大牟田 福岡・太宰府 → cMTc313 363 314 364 315 365 316 366 c:運転台、M:電動車、T:動力なし制御車(以下同じ) 300形に続いて製造されたものであり、番号も300形の続き番号となっているが、形式は別形式である。外観は当時製造されていた日本国有鉄道80系電車の影響を受けて前面が非貫通2枚窓となったが、上半の傾斜や平面視での屈曲(後退角)は無く、垂直な丸妻形状となっている。側面の客用扉は2箇所で、座席はロングシートとされた。台車はウイングばね方式の近畿車輛製KD2形を使用し、主電動機は出力110 kW ×4個で、吊掛式であった。 本形式は、普通鋼ながら日本で初めてモノコック構造を指向した車両として鉄道技術研究所の全面的なバックアップにより設計された。このため、登場時には加重試験などモノコック構造に関する多くのテストによりデータが残され、その後の東京急行電鉄5000形、国鉄モハ90系・20系(こだま型)など戦後の名車の登場へ向け、大きな礎となった。 1964年(昭和39年)からは室内灯(白熱灯)の蛍光灯化、扇風機の設置、客用扉のステンレス化などの近代化改造が行われた。また、1965年(昭和40年)から1968年(昭和43年)にかけて制御回路も改造されて他の300番台形式の車両との併結が可能となった。しかし、非貫通2両固定編成で使いにくいこともあって後に太宰府線専用となり、1977年には4編成とも宮地岳線に転属した。
※この「大牟田線時代」の解説は、「西鉄313形電車」の解説の一部です。
「大牟田線時代」を含む「西鉄313形電車」の記事については、「西鉄313形電車」の概要を参照ください。
- 大牟田線時代のページへのリンク