大江姓桂氏とは? わかりやすく解説

大江姓桂氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 06:06 UTC 版)

桂氏」の記事における「大江姓桂氏」の解説

毛利氏家臣桂氏本姓大江氏家系毛利氏流れで、その庶家坂氏分家にあたる。安芸国桂城城主室町時代庶家反乱により本家毛利氏弱体化する中で、坂氏福原氏とともに毛利氏支えた。しかし、内紛鎮めた毛利氏の力が回復すると、次第毛利氏対立深めるようになっていたといわれる戦国時代初期坂広明の子の広澄は、嫡男ありながら桂村分家し桂氏興した。広澄は毛利氏忠実に仕えていた。しかし、坂氏本家継いでいた一族坂広秀宿老渡辺勝と共に尼子氏通じて毛利元就の弟相合元綱擁立謀反計画して討たれる事件発生したため、広澄は一族の長として、責任取って自刃している。 坂氏本家没落したが、広澄は無実であったため、一族にその累が及ぶともなく桂氏存続許された。広澄の子元澄は、後に安芸国西部要衝である桜尾城任されるなど、元就信任され引き続いて宿老として活躍したまた、元澄の弟の元忠は五奉行となり、桂就延や、子の広繁らも、それぞれ活躍したその後桂氏も、毛利氏重臣として代々仕え長州藩成立すると、一族寄組2家・大組14家と、それぞれ繁栄した。また長府藩毛利元義家老に「縫殿」の名がある。他に右田毛利家家老吉敷毛利家家臣庶子家がある。幕末・明治時代には、その末裔に、桂小五郎/木戸孝允大江孝允)や木戸幸一桂太郎大江清澄)などを輩出している。桂太郎明治後期から大正初期にかけて内閣総理大臣長く勤め勲功重ねて子爵から公爵まで陞爵した。

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