大橋浩司監督時代とは? わかりやすく解説

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大橋浩司監督時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 07:26 UTC 版)

サッカー日本女子代表」の記事における「大橋浩司監督時代」の解説

2004年10月前月退任した上田後任大橋浩司が新監督として就任就任後初の試合となった12月18日チャイニーズタイペイ戦は11-0で勝利上々スタート切った。なおこの試合チラシプログラム応援用のブルーシートにはナデシコの花をイメージした模様がはじめて描かれた。 2006年7月オーストラリア開催され2006 AFC女子アジアカップ出場翌年開催される2007 FIFA女子ワールドカップアジア予選をかねたこの大会で準決勝地元オーストラリアに、3位決定戦北朝鮮敗れて4位に終わり出場をこの時点獲得できず大陸プレーオフに回ることとなった。その一方で12月カタール首都ドーハ行われた第15回アジア競技大会では阪口夢穂永里優季ら新戦力活躍しグループリーグ中国破り決勝トーナメント進出決勝北朝鮮戦では0-0のままPK戦突入する敗れて準優勝となった2007年3月FIFA女子ワールドカップ出場をかけた大陸プレーオフ2003年同様にメキシコホーム・アンド・アウェー対戦ホーム行なわれた第1戦は2-0勝利しアウェー行なわれた第2戦は1-2敗れたものの2試合合計3-2勝利し出場獲得また、4月から8月行われた北京オリンピックアジア予選では5勝1分の1位でオリンピック出場獲得した9月中国開催されFIFA女子ワールドカップではグループリーグA組となり、初戦イングランド引き分け、続くアルゼンチン戦には勝利したものの最後ドイツ戦で敗北しグループリーグ敗退となった。この大会で日中関係問題から日本選手対し会場ブーイング多かったが、ドイツ終了後には「謝謝」(ありがとう)と書かれた横断幕揚げ中国メディアから称賛された。

※この「大橋浩司監督時代」の解説は、「サッカー日本女子代表」の解説の一部です。
「大橋浩司監督時代」を含む「サッカー日本女子代表」の記事については、「サッカー日本女子代表」の概要を参照ください。

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