多田行家とは? わかりやすく解説

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源行家

(多田行家 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 14:29 UTC 版)

源 行家(みなもと の ゆきいえ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将河内源氏第五代源為義の十男。初めの名乗りを義盛(よしもり)という。新宮十郎、新宮行家とも。


注釈

  1. ^ 生年ははっきりしていないが、『保元物語』に見える兄為朝と弟乙若の年齢からの推測[1]。『吉記』の1183年の入京時の印象「年40余」の記述とも合致する。
  2. ^ 令旨によって熊野の勢力が二つに割れて争乱に発展したため、湛増が平氏に以仁王の謀反を注進したとされる[2]
  3. ^ 行家と、鎌倉を攻撃した異母兄の志田義広を庇護したことで義仲と頼朝は一時武力衝突寸前となったが、両者の話し合いで義仲の嫡男義高を頼朝の長女・大姫の婿として鎌倉に送る事でひとまず和議が成立した。
  4. ^ 長村祥知は行家を「軍事指揮官としては無能だが、工作員としては有能」と評価している[5]

出典

  1. ^ 佐倉 1996, p. 193.
  2. ^ 阪本 2005, p. 288.
  3. ^ 吉記
  4. ^ 『延慶本平家物語』
  5. ^ 長村 2011, p. 37.


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