外国車インポーター時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 05:44 UTC 版)
第二次世界大戦中は一時自動車輸入事業を停止していたが、その後二代目の梁瀬次郎会長に経営が引き継がれるとともにGMの各ブランドやメルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲン(傘下のアウディも含む)と取り扱い車種を増やした。 1965年(昭和40年)、日本への自動車輸入が完全自由化された後も、本国に比べて高価な価格設定、上位グレード中心の車種設定、髙島屋などの高級デパートへの出店、避暑地である軽井沢に夏の期間のみアフターサービス拠点を開くなど、国産車の購入者に比べ裕福な層に対象を絞り「高級車」イメージを強調するブランド戦略により、第二次世界大戦前のままに日本における輸入自動車を「特別な存在」、「富裕層の象徴」に位置付けた。 1970年(昭和45年)10月1日にそれまでの「株式会社梁瀬」から「株式会社ヤナセ」に社名変更する。全国に広がるネットワークと、顧客に対するきめ細かいサービスのノウハウなどは高い評価を受け、日本最大手の自動車輸入事業者(インポーター)となり、「輸入車=ヤナセ」と言われるほどの存在になった(実際の輸入業務はヤナセの100%子会社であるウェスタン自動車が行い、販売をヤナセが行うという形態をとっていた)。 なお、1980年代から1990年代にかけては、GMと提携していたいすゞ自動車の複数の車種や、日産自動車が国内で生産していたフォルクスワーゲン・サンタナを扱っていたこともある。 梁瀬次郎はゼネラルモーターズの各ブランドなどのアメリカ車の日本国内での普及に貢献したとされ、2004年(平成16年)に日本人で3人目の自動車殿堂入りをしている。
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