増築の経緯
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南館の建設計画は伊予西条駅南側の再開発と合わせて決定し、2012年に明らかになった。西条市内の公園に保存されていたC57形44号機や、四国旅客鉄道多度津工場に保存されていたDE10形1号機、キハ65形気動車などが保存展示されることが公表された。このうち、C57形蒸気機関車については、移転を前にして2014年2月に修理が完了した。
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増築の経緯
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「日光田母沢御用邸記念公園」の記事における「増築の経緯」の解説
赤坂離宮から移築した部分(江戸期建設) 1835年 - 1840年(天保6年 - 11年)、紀州徳川家江戸中屋敷として赤坂(現在の東京都港区元赤坂・迎賓館のある場所)に新築されたもの。江戸時代後期の建築様式を伝える。この建物は1872年(明治5年)に皇室に献上され、赤坂離宮となった。翌1873年(明治6年)には皇居西の丸御殿の炎上に伴い、この建物が仮皇居となった。1889年(明治22年)、明治新宮殿の完成により、この建物は再び赤坂離宮となり、皇太子嘉仁親王の住む東宮御所(花御殿の別称あり)となった。1898年(明治31年)に解体され、翌年現在の田母沢に移築された。「御座所」 1階:御座所、御次の間、御学問所/2階:御日拝所、御寝室、劔璽の間/3階:御展望室 赤坂離宮から移築した部分(明治期建設) 上記の紀州徳川家江戸中屋敷が東宮御所(花御殿)となった後の1889年(明治22年)に赤坂の地で増設された部分。「御食堂」食堂、御次の間、御化粧 「御車寄」唐破風造の御車寄のほか、受付、広間など 旧小林家別邸部 御用邸ができる以前からこの敷地にあった、銀行家の別邸を再利用したもので、1887年(明治20年)頃の建築。「皇后御座所」 1階:皇后御座所、高等女官詰所、皇后呉服棚/2階:御学問所、御次の間 御用邸開設時新築部 1899年(明治32年) 、田母沢御用邸創設時に現在地に新築された部分。明治時代の木造和風建築。「皇族及び臣下休所」の大部分 皇族休所のほか、宮内大臣、侍従などの控えの間 「主殿寮」の大部分 主殿寮、調度寮、内蔵寮、侍医寮など 「調理所」の一部 明治期増築部 皇太子(後の大正天皇)成婚に伴い、1900年(明治33年)以降増築した部分。「皇后御座所」の一部 御湯殿 「女官部屋」の大部分 高等女官部屋、物置など 大正期大増築部 1919年(大正7年)以降増築された部分。謁見所、内謁見所(皇后の謁見所)、食堂などの公的部分のほか、女官、雑仕などの使用人の部屋、調理室なども増築された。「謁見所」謁見所、次の間、候所、表御食堂、御玉突所(ビリヤード室)など 「内謁見所」 「女官部屋」の北半部 「調理所」の西半部
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