堂ノ上遺跡とは? わかりやすく解説

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堂ノ上遺跡


堂ノ上遺跡

名称: 堂ノ上遺跡
ふりがな どうのうえいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 滋賀県
市区町村 大津市神領三丁目
管理団体
指定年月日 1978.03.14(昭和53.03.14)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日 平成14.03.19
解説文: S52-06-013[[堂]どう]ノ[[上遺跡]うえいせき].txt: 琵琶湖から流れ出る瀬田川架かる瀬田唐橋を東に行くと、近江一の宮建部神社経て近江国府南縁に至る。近江国府方八町の府域をもつが、その府域の西南隅に西接して建部神社見られ、その社地の南に接す小台地上にこの堂ノ上遺跡が所在する昭和50・51年、滋賀県教育委員会発掘調査し、重要な成果収めている。基底3.5メートル測る築地塀南北走り、その西に南北11.5メートル東西26.1メートル上の範囲を囲む落溝が検出され、ここに大規模な瓦葺建物存在したことが確かめられ、またこの建物の北にも同様な瓦葺建物存在推測されているが、未調査のためその規模などは不明である。先の瓦葺建物東南には、小規模ではあるが桁行四間梁間一間南北軸瓦葺建物があり、築地塀平行しこれら諸建物が、相互に関連し同時に営まれたものであることを教えている。こうした瓦葺建物について掘立柱建物群が造営されたようである。これらの建物はさきの大規模な瓦葺建物位置桁行五間・梁間三間建物が、またその東南方の小規模な建物位置桁行五間・梁間一間長い建物営まれそれぞれ先の瓦葺建物後身建物かと考えられている。
 本遺跡では、近江国府において用いられている屋瓦と共通する屋瓦が使用されている。これらの屋瓦はほぼ奈良時代末から平安時代初期編年されるものであり、瓦葺建物群の存続時期知られるが、後身掘立柱建物群の存在知られているので平安時代前期までは存続したものと考えられる。なお、本遺跡から発見され一平瓦には「承和十一六月」の記年銘のあるものがあり、注目されている
 本遺跡は、近江国府の府域外営まれたものであるが、大規模な瓦葺建物存在、それらの建物の配置や、存続期間考え合わせれば近江国行政機構係る遺跡かと推測されており、将来近江国府なり地方行政機構実際考え上で重要な役割を果たす遺跡考えられる
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史跡:  堀之内貝塚  堀川用水及び朝倉揚水車  堂の前遺跡  堂ノ上遺跡  堂之上遺跡  堅志田城跡  塔の首遺跡

堂ノ上遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 00:12 UTC 版)

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座標: 北緯34度58分19秒 東経135度54分41秒 / 北緯34.97194度 東経135.91139度 / 34.97194; 135.91139

堂ノ上
遺跡
位置

堂ノ上遺跡(どうのうえいせき)は、滋賀県大津市神領にある官衙跡。1978年3月14日に国の史跡に指定され、2002年3月19日に指定範囲が追加された。

概要

奈良時代から平安時代前期まで存続した、近江国庁関連の官衙遺跡である。 琵琶湖から流れ出す瀬田川の瀬田橋から東の近江国庁方面へ古代の官道(旧東山道)が通じていたが、堂ノ上遺跡はこの官道を見下ろす、比高8メートルの独立丘陵上に所在する。周辺には古代官衙関連遺跡が集中しており、堂ノ上遺跡は『延喜式』に言及される勢多駅(せたのうまや)の跡ともいわれている[1][2]

遺構

当地にあった官衙施設は奈良時代、8世紀半ばに創建され、平安時代前期(9世紀後半から10世紀前半)に廃絶した。遺構は礎石建て・瓦葺の建物群跡と掘立柱建物群跡が重複するが、年代的には前者が先行する。礎石建て・瓦葺の建物は東西棟の正殿・後殿とみられる建物と、その東南方に南北棟の脇殿とみられる建物があり、これらを築地で囲んでいた。正殿の礎石は残っておらず、雨落溝の跡が残るのみで、その平面規模は東西21メートル、南北9メートルである。脇殿は礎石の根石が残り、南北4間、東西1間(実長は12.0×4.5メートル)であった[1][2]

掘立柱建物群は、上記の礎石建て・瓦葺の建物群を縮小再建したもので、正殿は5間×3間(実長は12.0×6.3メートル)の高床建物。その南方左右に脇殿があり、規模は5間×3間(実長は15.0×5.6メートル)であった。周囲には築地ではなく掘立柱塀がめぐらされていた[1][2]

出土品のなかに承和十一年(844年)の年記をもつ瓦があり、瓦葺建物は少なくとも844年までは存在していたことがわかる[1][2]

脚注

参考文献

  • 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課 『滋賀県文化財学習シート:堂ノ上遺跡』 滋賀県総合教育センター、2004年。 
滋賀県総合教育センターサイトからダウンロード可。
  • 文化庁文化相保護部史跡研究会監修 『図説日本の史跡4』 同朋舎出版、1991年。 
    • 林, 博通「堂ノ上遺跡」『図説日本の史跡4』、1991年、110頁。


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