城跡研究史
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1976年「平群町史」 塚信一 鞍部より北東白石畑への道の存在。東谷にある井戸とバックヤードの存在。正確な測量による郭面のサイズ、堀切の深さ計測。築城主嶋左近説。 1980年「城郭大系」 村田修三 土橋や土塁の遺構評価。周辺交通の要衝による選地説。椿井氏の関与の示唆と嶋左近及び筒井方築城説。 1989年「平群町遺跡分布調査既報」 村社仁史 平等寺館とのセット関係。南よりの敵を想定した城構評価。平等寺方面よりの登城道示唆。横堀部分への役割評価。築城主筒井傘下嶋左近説。 2004年「図説近畿中世城郭辞典」 村井毅史 南北それぞれの詳細評価。虎口防御の低評価。主城、南城との区分による別城評価。築城主は言及無し。 2011年「椿井城・信貴山城跡整備構想立案業務による調査」 中川貴皓 南北一体一城及び北・中・南区画に分けた築城思想の初評価。南よりの敵を重視した構造。城内ルートに於ける作事面への言及。遺構面詳細分析による虎口の折れ、自然地形を巧妙に生かした普請への高評価。椿井郷より鞍部を通った白石畑への街道はなかったとの評価。詳細な測量による正確な図面の初作成。築城思想の新解釈。現存松永系城郭と現存筒井系城郭との比較及び、城郭全体規模及び地勢等の分析による築城主検証。築城主松永系武将説。
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