型の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 03:03 UTC 版)
『歌舞伎』中には「〇〇の型」という題名の記事が多く見つかる。研究者たちから「型の記録」と呼ばれている一連の記事は、「実際に上演された舞台の様相を紙上の記録にとどめ」ることを目的として「舞台装置・衣裳・下座音楽等の演出から役者の所作の流れ・演技の段取り等に至るまでを詳細に筆記したもの」で、特に『歌舞伎』の特徴として認識されている。 矢内賢二によれば、「型の記録」は最初「幕内の資料の活字化」から始まり、「役者の談話形式」を経て1905年(明治38年)頃には「観客の視点からの客観的描写」というよく知られた形態が完成するに至ったようで、明治40年代には「型の記録」が各号の半分ほどを占めるようになったという。『歌舞伎』の創刊前後の歌舞伎界には、江戸育ちの俳優及び狂言作者たちが死に、9代目團十郎や5代目菊五郎も体力の衰えが顕在化する一方で、壮士芝居・書生芝居から発展した新派劇が隆盛を迎える、という「危機感」が漂っており、「型の記録」に代表されるような三木竹二指揮下の『歌舞伎』が持っていた「徹底した記録主義」はそうした時代背景を反映したものだと考えられている。「型の記録」の方針は『演藝画報』の「芝居見たまま」という同系統の記事に受け継がれたが、大正期以降は「危機感」意識が薄まっていったことや、写真の掲載が一般化したことなどから徐々に記録としての性質が弱くなり、主観的な文章へと変わっていった。
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