地域医療の実践
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 04:49 UTC 版)
「農民とともに」の精神で地域住民の中に積極的に入り込み、無医村への出張診療など住民と一体となった運動としての医療実践に取り組む。また外科医として先駆的な脊椎カリエスの手術などもおこない精力的に発表した。 「予防は治療に勝る」との考えのもと自ら脚本を書いた演劇などをセットにした出張診療をおこない衛生活動の啓発に努めた。特に八千穂村では現在の健康診断のモデルとなった全村一斉健診を早くから行った。農民の生活に密着したフィールドワークや研究をおこない、気づかず型、がまん型の潜在疾病の概念を確立し、日本のみならずアジア諸国の農村医療のモデルとなっている。医療の民主化をめざし、約半世紀にわたり地域での医療実践に尽くした。 また、高度経済成長の流れの中で佐久総合病院の維持、拡大につとめた。誇りとシンパシーをもって農村部で働くことのできる医師を養成すべく農村医科大学の設立を目指した。 1976年には農村医療に尽くした功績により「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞社会指導者部門で受賞している。他に、朝日社会福祉賞も受賞。著書『村で病気とたたかう』(1971年刊岩波新書)は地域医療を志す人間のバイブル的存在である。 2006年8月22日午前5時5分、肺炎のため、入院先の佐久総合病院で死去。享年96。
※この「地域医療の実践」の解説は、「若月俊一」の解説の一部です。
「地域医療の実践」を含む「若月俊一」の記事については、「若月俊一」の概要を参照ください。
- 地域医療の実践のページへのリンク