地勢的特徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:31 UTC 版)
白山市白峰地区は白山麓旧5ヶ村中最も山深いところにあり、王朝時代以降からは山内庄の文化圏にあった。山内庄であった白山市の白峰から手取川の尾口、鳥越、吉野谷、河内と、さらには白山市鶴来地区南端(白山天嶺側の白山町(しらやま)~八幡町(やわた))までを境とし、かつて明治生まれ世代までの人々の間にはこのジゲ弁が話され、室町時代の謡曲の詞章文言に共通する古い言葉もいくつか残されていた。この山内庄は安土桃山時代に加賀一向一揆最後の根拠地となり、山内庄の東谷(現在の白峰)と西谷(鳥越・阿手)は撫で斬りに制圧した柴田勝家一族の所領として越前国へ分割され、江戸時代には白山麓十八ヶ村として幕府直轄領天領となり福井藩が預かり、廃藩置県直後の本保県(現在の福井県北部)を経て石川県に編入復帰された。山一つ越えれば福井県という地点にある。1934年(昭和9年)に発生した手取川大水害では石川県側へ下りる道路が遮断され、いち早く援助物資を届けたのは福井県の勝山市であった。 旧白峰村は牛首(うしくび=今の白山市白峰)と桑島(くわじま=今の同市桑島)の二つの大きな集落と山間部に点在した出作り集落(今は消滅)からなるが、牛首の住民は自分達の集落のことを「ジゲ」と言い、桑島のことを「シマ」と言った。「ジゲ」は漢字を当てると「寺家」であり、熱心な浄土真宗(真宗大谷派)門徒衆である地域柄が窺える(人口1000人強の村に寺院が五つも存在する)。
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