土地についての布告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/29 04:15 UTC 版)
二月革命後、地方では農民が地主の土地を奪取する運動が広がった。社会革命党はその運動から距離を置き、憲法制定会議を待つべきだという立場をとった。ボリシェヴィキは4月協議会の決議で農民の運動を積極的に肯定した。 8月19日付の『全ロシア農民代表ソヴェト通報』は「1917年のペトログラードの農民代表第一回全ロシア大会にたいして地方の代議員が提示した242通の要望書にもとづいて作成された模範要望書」という論文を掲載した。土地の私有権の廃止、賃労働の禁止、均等な土地用益、土地の平等な分配と定期的割替などの要求を含むものだった。レーニンはこの「模範要望書」を肯定的に評価した上で、「資本家と同盟しながらこれらの要求を実現するということは、まったく不可能」とし、それが可能だと主張している社会革命党を批判した。 10月26日に労働者・兵士代表ソヴェト第二回全ロシア大会が採択した「土地についての布告」は、「模範要望書」をまるごと引用して「偉大な土地改革を実現するための指針」とした。 土地についての布告は社会革命党の綱領に基づくものであり、ボリシェヴィキの農業綱領とは違っていた。ボリシェヴィキと左翼エスエルの連立政府においてボリシェヴィキがどう行動するべきかについて、レーニンは以下のように論じた。 ボリシェヴィキは、反革命分子(エス・エル右派分子と祖国防衛派分子をふくむ)との闘争では、非妥協的であるとはいえ、ソヴェト第二回全ロシア大会が確認した土地綱領の純然たるエス・エル的な条項に関係のある問題の表決にあたっては、棄権する義務があるであろうからである。たとえば、均等な土地用益や、小経営主のあいだの土地再分割の条項がそれである。こういう条項の表決にあたって棄権しても、ボリシェヴィキは、自分の綱領にすこしもそむくことにならない。なぜなら、社会主義の勝利の諸条件(工場の労働者統制、それにつづく工場の収用、銀行の国有、国の国民経済全体を規制する最高経済会議の創設)があるならば、こういう条件があるならば、労働者は、勤労被搾取の小農民の提案する過渡的な方策が、社会主義の大業に害をあたえないかぎり、それに同意する義務があるからである。
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