土地と信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:32 UTC 版)
土地も来るべき戦争の大きな問題であった。フランスの移民は常に少数であったのに対し、イギリスのそれは終りが無いように思われた。オハイオ領土のデラウェア族やショーニー族は東部のイギリスの移民によって領土を奪われ、強制移住させられていたので、このことがこの戦争に参加する動機になった。一方で、五大湖地方やイリノイ郡のインディアン部族は白人の入植で大きく影響されることは無かったが、東方の部族が経験したことに気付いてもいた。歴史家のグレゴリー・ダウドはポンティアック戦争に関わったほとんどのインディアンが白人の移民により強制移住させられる脅威に直面していたわけではないと指摘し、またそれゆえに歴史家達がイギリスの移民拡大を戦争の原因として強調し過ぎたとした。ダウドはイギリス軍の駐屯と態度、および政策をインディアン達が脅威と見てまた侮辱と見たことが戦争の重要な要素だと信じた。 戦争を起こした原因でもう一つ重要なことは、1760年代初期にインディアンの領土を席捲した信仰的な目覚めであった。この動きはイギリスに対する不満と共に食料の欠乏や伝染病によっても加速された。この現象で最も影響力があった者は「デラウェアの預言者」として知られるネオリンであった。ネオリンはインディアン達に交易用の商品やアルコールおよび白人の武器を遠ざけるように勧めた。ネオリンは伝統的なインディアンの信仰にキリスト教の要素を融合させ、聴衆に向かって白人の悪習に染まるインディアンを見て偉大なる魂は喜ばないこと、またイギリスはインディアンの存在そのものに脅威となることを説き聞かせた。ネオリンは、「もしお前達がその中にイギリス人を取り込めば、お前達は死んだ者となる。病い、天然痘およびアルコールの毒がお前達全員を破壊するだろう」と言った。これは自分達の世界が制御できないと思われる力によって変わりつつあると感じているインディアンには力強い教えとなった。
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