国際的活動の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:45 UTC 版)
「シドニー・ノーラン」の記事における「国際的活動の展開」の解説
1950年にダンロップ賞を受賞したことによって、欧州訪問の機会を得たノーランは、その翌年フランス、スペイン、ポルトガル、イタリアを歴訪した。ヨーロッパ美術、分けても初期イタリア・ルネサンスの美術に深い感銘を受けたことを契機に、オーストラリア的な粗削りさが目立ったその作風に、それ以降は洗練が加わっていくようになった。 翌1951年にオーストラリアに戻ると、ブリスベンの新聞『クーリア・メイル』紙の依頼を受け、クイーンズランド北部の旱魃の様子を記録する旅に出発した。ここで洞窟画などオーストラリア先住民の文化に触れ、また1953年にも中央内陸部に旅したが、オーストラリア内部の探索はここで一旦区切りを付け、以降は国際的活動に比重を移していった。 1954年に再度イタリアを旅して大きなインスピレーションを得たことを足掛かりに、ヴェネツィアやローマ、ロンドンで展覧会を開催。1955年にはロンドンに居所を定める。同年冬から翌1956年にかけてはギリシアのヒドラ島で過ごし、そこで得た着想を元に大作『ガリポリ』を完成させた。これは第一次世界大戦におけるオーストラリア・ニュージーランド軍団(ANZAC)のガリポリの戦いへの参戦を、ギリシア神話のトロイ戦争のイメージに重ね合わせて描き上げたもので、当時の彼の神話への興味をうかがわせるものとなっている。
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