国際的指揮者へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:40 UTC 版)
「マリス・ヤンソンス」の記事における「国際的指揮者へ」の解説
レニングラード・フィルの指揮者を務める一方、1979年からオスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任。彼は2000年までこのポストにとどまり、国際的な知名度という意味では今一歩だったオスロ・フィルのレヴェル・アップに尽力した。1992年にはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者、1997年から2004年までピッツバーグ交響楽団の首席指揮者も兼任、1990年代を迎えると世界の一流オーケストラへの客演も本格化する。2001年にはウィーン楽友協会の名誉会員に推挙。その2年後にはバイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任、さらに2004年からはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任も務めるようになり、ヤンソンスはふたつのヨーロッパ有数の名門オーケストラの常任を兼任する事になる。コンセルトヘボウの常任就任早々、同団を帯同して来日公演を行ない、ヤンソンスとコンセルトヘボウのコンビは日本の聴衆にも好評をもって迎えられた。前者バイエルン放送響とは、2005年・2009年と2014年・2016年の秋に来日。2006年・2012年と2016年の元日にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートの指揮を務めた。ベートーヴェンやリヒャルト・シュトラウス、マーラー、ショスタコーヴィチなど独墺系・ロシア系を中心に広いレパートリーを得意とし、特にショスタコーヴィチの交響曲は全曲録音を完成させている。 2019年11月30日、サンクトペテルブルクの自宅にて逝去。76歳没。死因は心不全(心臓発作)であった。
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