団地建設以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 13:31 UTC 版)
団地建設以前の高島平の歴史は、徳丸ヶ原も参照。 1841年(天保12年)砲術家高島秋帆が当地域にて、日本で初めてとなる洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行う。 1871年(明治4年)11月14日 - 大部分が浦和県(現埼玉県)から東京府に編入され、現在の高島平の全域が東京府内となる。それ以前、長らく「徳丸ヶ原」と呼ばれる農作地であった。 1948年(昭和23年)7月:当地域が特別都市計画法に基づく「緑化地域」に指定される。 1958年(昭和33年):東京都が土地区画整理事業の実施を条件として緑化地域指定解除の方針を示す。 1962年(昭和37年)5月:土地区画整理事業準備組織として「旧赤塚水田地帯開発協議会」が発足する。 1965年(昭和40年)6月:土地区画整理事業施行地域が確定する。 12月:東京都交通局により、都営地下鉄6号線(現:三田線)が着工される。 1966年(昭和41年)12月:日本住宅公団(現:都市再生機構)を土地区画整理および団地造成事業主とすることが決まる。当初は5階建て中層住宅建設を予定していた。 1968年(昭和43年)12月:都営地下鉄6号線巣鴨-志村間開通。当地域内に西台駅、志村駅が開業する。 1969年(昭和44年)3月1日:板橋区による住居表示実施に伴い高島平一丁目~九丁目が発足する。高島秋帆に因む町名が採用された。 7月:高島平団地事業計画が14階建て高層団地主体に変更される。 8月1日:都営地下鉄志村駅が「高島平」に改称される。 12月:日本住宅公団による団地建設着工。 1970年(昭和45年)10月:東京都道447号赤羽西台線(現在の高島通り)供用開始。 1972年(昭和47年)1月:高島平団地第一次入居開始。 3月:高島平団地竣工、土地区画整理事業終了。
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