噴火と島民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 14:40 UTC 版)
8月18日の噴石の到来と29日の火砕流発生により島民から、すぐにもの島外避難の要望が村議会や都庁にも多く寄せられていたが、当時の都知事石原慎太郎と火山噴火予知連との間で避難開始判断を譲り合う場面を多くのマスコミが報道した。2000年9月2日から全島民が島外へ避難を開始した。天皇皇后両陛下は恒例だった9月の葉山御用邸での静養を取りやめた。避難が長期化した避難指示期間中の2004年度には、NHKが島の1,280世帯、2,303万4,000円分のNHK受信料を免除した。 日本においては人為的に発生する二酸化硫黄の量が、1日あたり約3,000トンとされるが、観測結果からこれを目安に2005年2月1日15:00を以て、全島避難指示から4年5ヶ月におよぶ一部を除き避難指示が解除された。5月1日から観光客の受け入れが再開され、2006年3月には天皇、美智子皇后が島民の慰労に訪れた。避難が長期間にわたったため、生活基盤を三宅島外の伊豆諸島、東京都、本州島内などに移した人々も多く、住民基本台帳によれば2007年1月時点での人口は約3,800人となっていた。2010年現在では約3,000名が帰島している。 数mの火山灰が積もったままだった雄山中腹の公共牧野付近も2011年には山頂周辺を除いて立ち入りと居住の制限が解除された。2015年2月1日、帰島10周年を迎えた。6月5日、気象庁の噴火警戒レベルが1になり火口周辺も含め立ち入り規制が解除された。
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