噴火と山体崩壊の規模について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 06:52 UTC 版)
「1888年の磐梯山噴火」の記事における「噴火と山体崩壊の規模について」の解説
1888年の磐梯山噴火については、噴火と山体崩壊の規模についても論争が続いている。まず前述のように噴火の規模については、最大級の水蒸気爆発であったと評価する説がある一方、噴火そのものは小規模なものであったとする説が対立している。 一方、山体崩壊の規模についても3つの説がある。まず関谷 - 菊池説で約1.213立方キロメートルとして以来、定説とされてきた約1立方キロメートル程度という説である。その後も多くの専門家が崩壊部分の面積と深さからの算定などにより、約1立方キロメートルとの推定を追認する研究結果を公表している。続いて米地が唱えている約0.5立方キロメートルとの推定である。米地の推定は他の専門家と同様に、小磐梯山崩壊前の推定された地形と現状との比較から算定したものである。この約0.5立方キロメートルという推定については、他の火山との崩壊規模の比較検討や山麓に流下した岩屑なだれの流れ山の分布状況の解析から、支持できるとの研究結果が発表されている。 山体崩壊の規模については、更に小さい約0.14立方キロメートルという説もある。この説の根拠となったのが農商務省地質局が作成していた五万分の一の地図である、災害地形図「磐梯山之図」である。この図は噴火後の1889年に作図されたものであるが、消滅した小磐梯山についても等高線が記入された状態で表記されている。災害地形図「磐梯山之図」と崩壊後の地形との比較により、約0.14立方キロメートルとの推定値が出された。このように崩壊の規模についても3つの説が対立した状況が続いている。
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