全島避難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 14:22 UTC 版)
噴火が始まって間もないころ、アイスランド国立市民防衛機構(Icelandic State Civil Defence Organisation)はヘイマエイ島の全島民を避難させた。このような緊急事態に備えて前もって作成されていた避難計画に基づいたものだった。既に溶岩流が市街地の東端にゆっくりと流れ込んできており、また、ひどく降り積もる火山灰がこの小さな島全体にわたって覆ってしまうかもしれないという危険性に脅かされていたため、全島避難は必要不可欠なものだった。噴火する数日前に大あらしが吹き荒れていたため、漁船団のほとんど全隻の船が港で足止めを食らっていた。それゆえ、国による迅速な避難にとって大助かりとなるという思いがけない幸運があった。島民は、火災のときに消防車から鳴らされるサイレンによって注意を促され、着の身着のまま、持ちはこべるだけの僅かな貴重品を持ち出せただけで港に集められた。避難する最初の舟はソルラゥクスヘプン(Þorlákshöfn)目指して午前2時30分に出航した。ちょうど噴火が開始してから1時間半後のことであった。ほとんどの島民は漁船で島を離れた。幸いにも、溶岩流と降下火山灰が空港の滑走路を最初に破壊しなかったおかげで、主に老人や患者などの、ボートで移動できないごく少数の島民が病院から飛行機で避難をできるようになった。飛行機はレイキャビクとケプラヴィークから避難プロセスを早めるために派遣されてきた。噴火が始まってから6時間のうちに、ほぼ5,300名の島民が安全にアイスランド本土に避難できた。ごく少数の人間が街の必須機能を実行するため、または危機に瀕した家々にある財産を救い出すために残った。牛、馬、羊などの家畜は殺処分された。
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