うそつき‐の‐パラドックス【嘘▽吐きのパラドックス】
読み方:うそつきのぱらどっくす
自己言及のパラドックス
(嘘つきのパラドックス から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 10:31 UTC 版)
哲学および論理学における自己言及のパラドックス(じこげんきゅうのパラドックス)または嘘つきのパラドックスとは、「この文は偽である」という構造の文を指し、自己を含めて言及しようとすると発生するパラドックスのことである。この文に古典的な二値の真理値をあてはめようとすると矛盾が生じる(パラドックス参照)。
注釈
- ^ 第44条は自己言及ではない。国有地を土地台帳に登録しないのは、土地台帳法に従ったからではなく、土地台帳法の適用対象ではないからである。なぜなら、土地台帳法に従うなら、土地台帳に登録せねばならないからである。
出典
- ^ 『聖書』新共同訳、日本聖書協会。
- ^ St. Jerome, Homily on Psalm 115 (116B), translated by Sr. Marie Liguori Ewald, IHM, in The Homilies of Saint Jerome, Volume I (1-59 On the Psalms), The Fathers of the Church 48 (Washington, D.C.: The Catholic University of America Press, 1964), 294
- ^ Prior 1976
- ^ Mills, Eugene (1998) ‘A simple solution to the Liar’, Philosophical Studies 89: 197-212.
- ^ Lefebvre & Schelein 2005
- ^ Kirkham 1992, chap. 9
- ^ Kripke 1975
- ^ Barwise & Etchemendy 1987
- ^ Priest 1984
- ^ Yang, T. (Sept. 2001). “Computational verb systems: The paradox of the liar”. International Journal of Intelligent Systems 16 (9): 1053–1067.
- ^ レイモンド・スマリヤン「ゲーデルの不完全性定理」丸善
- ^ Shunsuke Yatabe. “Yablo-like paradoxes and coinduction” Springer Lecture Notes in Computer Science 6797 (2011)
- ^ ヤブローのパラドックス と余帰納法[1]
嘘つきのパラドックス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 15:57 UTC 版)
「パラドックス」の記事における「嘘つきのパラドックス」の解説
「この文章は嘘である」。ゲーデルはこれを「この命題は証明出来ない」という命題に改めて、第一不完全性定理を導いた[要出典]。
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嘘つきのパラドックス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 05:59 UTC 版)
嘘をつく人の言うことが信用できるかどうかは、ややこしい問題(パラドックス)を生む。 クレタ人が『クレタ人は嘘つきだ』と言ったが、これは信用できるかどうか、というのは、嘘つきのパラドックスと呼ばれる。詳しくはエピメニデスのパラドックスを参照のこと。同様な例は他にも数多く。たとえば以下のようなクイズがある。そのバリエーションも幾つか存在する。 道が天国行きと地獄行きに分かれている。天国に行きたいが、どちらかはわからない。分かれ道には正直者と嘘つきがいて、どちらかに1回だけ質問が可能。さて、何と尋ねればいいか。 また、フレドリック・ブラウンの『火星人ゴーホーム』では、火星人への対応に苦慮した学者が、ふと「彼らは嘘をつけないのではないか」という仮定を思いつくが、途端に出てきた火星人が言う。「俺たちは嘘がつける。さあ、これをどう考える?」。
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