無限に関する非構成的証明の法則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:29 UTC 版)
「排中律」の記事における「無限に関する非構成的証明の法則」の解説
上記の例は直観主義では許されない「非構成的; non-constructive」証明の例である。 「この証明は、定理を満足する a と b という数を特定せずに可能性だけで論じているため、非構成的である。実際には a = 2 2 {\displaystyle a={\sqrt {2}}^{\sqrt {2}}} は無理数だが、これを簡単に示す証明は知られていない」(Davis 2000:220) Davis は「構成的」について「実際に一定の条件を満たす数学的実体が存在するという証明は、明示的に問題の実体を表す方法を提供する必要があるだろう」(p. 85) としている。そのような証明は全体の完全性の存在を前提としており、それは直観主義者にとっては、決して完全ではない「無限」に拡張することは許されない。 古典数学では、「非構成的」あるいは「間接的」な存在証明があるが、直観主義者はそれを受け入れない。例えば、「P(n) が成り立つような n がある」ことを証明するとき、古典数学では全ての n について P(n) が成り立たないと仮定することで矛盾が生じることを示す。古典論理でも直観論理でも、帰謬法により「全ての n について P(n) が成り立たないということはない」ことが示される。古典論理はその結果を「P(n) が成り立つ n が存在する」に変換することを許すが、直観論理では総体として無限な自然数の集合が完全であって、P(n) となるような n が存在するということは言えない。なぜなら、直観主義では自然数が全体として完全であるとは考えないからである。 (Kleene 1952:49-50) 実際、ヒルベルトとブラウワーはそれぞれ、排中律を無限に適用する例を示している。ヒルベルトの例は「素数は有限個か無限個か」(Davis 2000:97) であり、ブラウワーの例は「全ての数学的種は有限か無限か」(Brouwer 1923 in van Heijenport 1967:336) である。 一般に、直観主義では有限な集合に関して排中律の適用を許すが、無限集合(例えば、自然数)に対しては許さない。したがって、「無限集合 D に関する全ての命題 P について、P であるかまたは P でないかのどちらかである」(Kleene 1952:48) という言い方は、直観主義では絶対できない。詳しくは、数学基礎論と直観主義を参照されたい。 排中律についての推定的反例として、嘘つきのパラドックスあるいはクワインのパラドックスがある。Graham Priest の dialetheism では、排中律を定理とするが、嘘つきのパラドックスは真でもあり偽でもあると説明する。この場合、排中律は真だが、真であるがゆえに選言は排他的ではなく、選言肢の一方が逆説的だったり、両者がともに真でありかつ偽であることもありうるとする。
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