善悪論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/30 08:18 UTC 版)
戦争の善悪については肯定派の立場、否定派の立場、戦争の種類などによって肯定する立場、さらに善悪は問題ではないという立場に大別される。肯定派として、「戦いは万物の父である」と論じたヘラクレイトス、「平和の希望があるときはそれに向かって努力すべきである。しかし平和が獲得できないときは戦争のあらゆる利益を求めて利用してよい」と論じたホッブズなどが挙げられる。またフランス哲学者のシャルル・ド・モンテスキューは「国家の生命は個人の生命と同様に自己保存のために戦争を行う権利がある」とし、またドイツ哲学者ヘーゲルは「あたかも海流が生じることにより海洋の新鮮さが保たれるように、戦争は国民の倫理的健康に関する諸規定の固定化を防ぐ」と論じた。 戦争は全て悪であるという否定派として、セネカ、エラスムスなどが挙げられ、またカントが論じた恒久平和論がある。聖アウグスティヌスは戦争の原因が原罪にあり、神は超越的な力によって戦争で人間を罰していると唱えた。 戦争の種類などによって肯定する立場としては、キケロ、グロティウスなどが挙げられる。イングランドの哲学者であったフランシス・ベーコンは「悪いのは戦争そのものではなく、戦争を引き起こす悪に満ちた激情である」と論じた。またイスラームではジハード以外の戦争を否定している。共産主義では帝国主義戦争は一定の段階に過ぎないとしている。 善悪は問題ではないとする立場について、軍事学者である孫武、マキャベリ、クラウゼヴィッツ、またイギリス劇作家のシェイクスピアは戦争は善悪で理解できるものでもない、またすべきでないという立場にあった。
※この「善悪論」の解説は、「戦争哲学」の解説の一部です。
「善悪論」を含む「戦争哲学」の記事については、「戦争哲学」の概要を参照ください。
- 善悪論のページへのリンク