商業旅客飛行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 01:01 UTC 版)
「LZ 129 (飛行船)」の記事における「商業旅客飛行」の解説
ヒンデンブルクはフル稼働した最初の(そして唯一の)年である1936年に、アメリカ合衆国へ10回、ブラジルへ7回、計17回の大西洋横断往復飛行を行った。1936年7月には、5日19時間51分という、大西洋往復飛行記録を樹立した。ドイツのボクサー、マックス・シュメリングは、ジョー・ルイスを破ったあと、ヒンデンブルクに乗ってフランクフルトに凱旋した。ヒンデンブルクはその年、308,323キロメートルを飛び、2,798人の乗客と160トンの貨物および郵便物を運んだ。この成功により、ツェッペリン飛行船会社は飛行船隊と大西洋横断サービスの拡大を計画した。 墜落事故を起こすちょうど1年前の1936年5月6日に、ヒンデンブルクはドイツを発ってその年の10回の北米飛行の1回目を行い、3日後にニュージャージー州レイクハーストに到着した。乗客たちにとって船は極めて安定しており(伝えられるところでは、ペンや鉛筆をテーブルに立てても倒れることがなかったという)、離陸しても何人かはそれに気づかず、まだ地上にあると思っていたほどだった。ドイツ・レイクハースト間のチケットは400米ドル(2018年に換算するとおよそ7,345.64米ドル(1ドル110円換算で約80万8千円))で、不況の時代にはかなりの金額であると言えた。ヒンデンブルクの乗客はみな裕福であり、産業界の指導者も多く含まれていた。 ヒンデンブルクはまた宣伝目的のためにも使われ続けた。1936年の夏季オリンピック開会式の行われた8月1日にはベルリンのオリンピックスタジアム上空にも登場した。アドルフ・ヒトラーの到着直前、ヒンデンブルクはゴンドラからオリンピック旗をたなびかせ、大スタジアムの上空を横切った。 最初の年の運行期間中、ヒンデンブルクの音楽サロンには特別なアルミニウム製のブリュートナー・グランドピアノが置かれていた。そのピアノは航空機で使用された最初のピアノであり、ラジオで初めて「空中コンサート」を放送した。このピアノは重量を節減するため、最初のシーズンの後、取り外された。 1936年から1937年にかけての冬の間にいくつかの変更が加えられた。2つのベッドを持つ9つの客室と、4つのベッドを持つ客室1つが追加され、旅客輸送能力は全部で72名となった。加えて、バラストとして使用するために雨水を集める「樋」も取り付けられた。
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