唄と島民と衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 02:45 UTC 版)
その昔、伊豆大島の暮らしは、活火山である三原山の噴火や大型台風、強い西風他厳しい自然環境に加え、火山灰地ゆえの食料難や水飢饉等が重なり生命の危険にさらされること数多、漁農労働の労苦とも相まって決して楽ではなかった。しかしながら、島人の営みがあれば、大漁や豊作や婚礼等、四季折々に楽しい催事や祝いごとも少なからずあった。祝い事の席となれば、儀式終了後の宴席で「大島節」が歌われた。人々は参集し、車座になり、次から次へと、昔からある歌詞や、その日の儀式に応じて即興で作詞して(婚礼であれば両家や、新郎新婦の名前を入れて)歌うのが常だった。「大島節」は、火の島に暮らす運命共同体・生活共同体の酒盛り唄であり民謡・郷土芸能であり心の潤滑油であった。 大島節の歌詞は、冠婚葬祭に合わせた即興の歌詞の他、定番として、郷土・自然・生活・気質・旅・恋・別れ等の歌詞が多く存在し、島の人々は、生活の発露として、意気地と愛着をもって大島節を歌い継いできた。中でも特に「恋の唄」と「別れの唄」が多いのは、南洋大島の大らかさと、情けの深さを象徴する特徴であろう。若い衆にとっては、「大島節」を歌うことが大人衆への仲間入り(酒席参加)とも言われ、背伸びしつつ好んで大島節を練習したという。 最近の大島人の生活は、冠婚葬祭・宴席での車座や、大島節や、手拍子や相の手の掛け合いが少なくなってしまった。海の上(漁業)や畑の中(農業)で共に生きてきた島人達であるが、時代とともに職業分布と生活様式が近代化し、運命共同体・生活共同体の連帯意識が希薄になった。島の男たちの、ごつい手の平による手拍子の響きも、手拍子を打つ時の一種独特の手の平のひねりも、昨今、見聞きされることは稀になった。ほとんどの家庭にカラオケがある為、祝の席でも、勢いカラオケ大会となるケースが多く、大島節で盛り上がることが少なくなった。大島のあらゆる宴席で、連綿と歌い継がれてきた「大島節」であるが、現在は、島人の生活の場から急速に失われつつある。
※この「唄と島民と衰退」の解説は、「大島節」の解説の一部です。
「唄と島民と衰退」を含む「大島節」の記事については、「大島節」の概要を参照ください。
- 唄と島民と衰退のページへのリンク