哺乳類説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 14:52 UTC 版)
選帝侯のコレクションはミュンヘンに移るとバイエルン科学アカデミーに寄贈され、アイヒシュテット標本は科学アカデミーの博物標本管理責任者となったザームエル・トーマス・フォン・ゼメリンク(Samuel Thomas von Sömmering)によって研究されることとなった。ゼメリンクはキュヴィエの研究を知らぬまま1810年に講演という形で研究結果を発表し、その中で彼がOrnithocephalus antiquus と名付けたこの生物は哺乳類のコウモリの仲間であるという結論を表明した。1811年にキュヴィエの論文を知ったゼメリンクはその講演内容をアカデミーの紀要として1812年に掲載する際に、コリーニの説・キュヴィエの説共に批判的に論説している。しかしコウモリ説にこだわったため、キュヴィエと異なり標本を実際に調べることができた立場にいたにもかかわらず、彼の論文では上腕骨をコウモリが持つ大型の鎖骨と勘違いし、順に実際の前腕骨(尺骨と橈骨)を上腕骨に、実際の中手骨を前腕骨に、と間違えた骨格復元図が掲載されていた。 ゼメリンクと同じくこの生物は飛翔する哺乳類だと考えた人物にイギリスのエドワード・ニューマンがいる。空を飛ぶという行動様式をとる以上、爬虫類のような変温動物ではなく活動的な恒温動物でなければならないという観点によるものであった。ただし彼の説がゼメリンクと異なるのは、翼手目(コウモリ)ではなく有袋類であると考えたことである(翼の構造が全く違うためか?)。そのため彼が1843年に発表した復元図では、体毛と耳介をもって空を飛ぶプテロダクティルスが描かれている。
※この「哺乳類説」の解説は、「プテロダクティルス」の解説の一部です。
「哺乳類説」を含む「プテロダクティルス」の記事については、「プテロダクティルス」の概要を参照ください。
- 哺乳類説のページへのリンク