和田古墳群とは? わかりやすく解説

和田古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:02 UTC 版)

稲荷塚古墳」の記事における「和田古墳群」の解説

多摩川南側にあたる大栗川多摩川支流両岸には「和田古墳群」と呼ばれる古墳群がある。大栗川東側には稲荷塚古墳のほか、臼井塚古墳庚申塚古墳塚原古墳群があり、大栗川西側には中和田横穴墓群日野市万蔵院台古墳群がある。ほとんどが古墳時代後期にあたる6世紀中頃から7世紀中頃中心に築造された古墳である。古墳以外に古墳時代住居跡土器なども多数出土している。 都内でも有数古墳群のひとつであるが、その古墳のほとんどは墳丘が削平され、墳丘確認できる古墳少数となっている。周辺は未調査区域多く今後古墳の数増える可能性は高い。 臼井塚古墳 稲荷塚古墳から西方100m付近に臼井塚古墳があり、築造時期稲荷塚古墳と同じ7世紀前半で、凝灰岩切石用いた胴張複室構造石室である。石室稲荷塚古墳よりも小さいが構造は同じである。現在、石室埋め戻されている。 庚申塚古墳 現在未調査であるが、直径10mの円墳推測される石室一部思われる河原石が露出している。現在墳頂部庚申塔祀られている。 塚原古墳群(つかっぱらこふんぐん) 6世紀中頃から7世紀中頃までの100年間にわたり造られ古墳群である。江戸時代後期の『新編武蔵風土記稿』には「古墳元禄の頃には4050基あったが、14、5基に減少した。」とされている。しかし現在までに確認されているのは10基である。川原石用いた横穴式石室を持つ円墳古墳群であり、副葬品多数出土している。 中和田横穴墓群 多摩丘陵最大横穴墓群で、19基の横穴墓確認されている。それぞれ方形単室形、胴張り複室形、台形単室形の横穴墓である。10体分ほどの人骨出土している。7世紀前半から8世紀初頭までの横穴墓推測される副葬品として大刀鉄鏃刀子ガラス玉土師器坏、須恵器横瓶などがある。 日野市万蔵院台古墳群 河原石を用いた横穴式石室で、3基の古墳確認されている。1号墳胴張り単室、2号墳片袖式単室、3号墳は無袖式長方形単室である。築造時期6世紀第4四半期(575-600)と推測されている。塚原古墳群築造時期石室の構造などが似通っている。

※この「和田古墳群」の解説は、「稲荷塚古墳」の解説の一部です。
「和田古墳群」を含む「稲荷塚古墳」の記事については、「稲荷塚古墳」の概要を参照ください。

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