臼井塚古墳とは? わかりやすく解説

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臼井塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 19:29 UTC 版)

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臼井塚古墳(うすいづかこふん)は、東京都多摩市百草にある、古墳時代後期(7世紀前半)の古墳

概要

1952年昭和27年)に稲荷塚古墳とともに調査が行われた。稲荷塚古墳の西方100メートル付近に位置する。 調査時には既に墳丘がなかったため墳形や規模は不明である。築造時期は7世紀前半(古墳時代後期)と推測されている。埋葬者は稲荷塚古墳と同様に不明である。

石室は羨道部・前室・玄室の三室からなっている横穴式石室である。石室は凝灰岩の切石を組み合わせて積み上げられた構造で、前室と玄室の壁は三味線の胴のようにカーブしており、胴張複室構造(子宮のような形)と呼ばれ精巧な技術で造られている。 玄室は長さ2.34メートル、最大幅2.15メートルの楕円形、前室は長さ1.2メートル、最大幅1.6メートル、羨道部は長さ1メートルほどとされるが原形は不明である。

副葬品として鉄小刀が出土している。

稲荷塚古墳との築造時期の前後は不明である。現在石室は埋め戻されている。

元多摩市長の臼井氏の宅地内にある。

参考文献

  • 多摩市史 資料編1 考古 古代 中世
  • 多摩市埋蔵文化財調査報告39 東京都指定史跡 稲荷塚古墳 1996

関連項目


臼井塚古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 14:02 UTC 版)

稲荷塚古墳」の記事における「臼井塚古墳」の解説

稲荷塚古墳から西方100m付近には臼井塚古墳があり、築造時期稲荷塚古墳と同じ7世紀前半で、凝灰岩切石用いた胴張複室構造石室である。石室稲荷塚古墳よりも小さいが構造は同じである。現在、石室埋め戻されている。

※この「臼井塚古墳」の解説は、「稲荷塚古墳」の解説の一部です。
「臼井塚古墳」を含む「稲荷塚古墳」の記事については、「稲荷塚古墳」の概要を参照ください。

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