和歌作品
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歌風は、大陸的風雅心・老荘的自由思想と位置付けられている。 やすみししわご大君の食国(おすくに)は倭も此処も同じとぞ思ふ - 万葉集巻六・956任地の大宰府で都を偲ぶ歌。 わが苑に梅の花散る久方の天より雪の流れくるかも - 万葉集巻五・822。旅人邸で行われた「梅花の宴」で詠んだ歌。 験(しるし)なきものを念(おも)はずは一坏(つき)の濁れる酒を飲むべくもあるらし - 万葉集巻三・338雑歌 昔見し象(きさ)の小河を今みればいよよ清けくなりにけるかも - 万葉集巻三・316雑歌。『今昔秀歌百撰』(2012年、文字文化協會)に所収。選者は加藤淳平(元駐ベルギー大使)。 妹として 二人作りし わが山斎(しま、庭のこと)は 小高く繁く なりにけるかも(万葉集巻三、奈良の都に戻り(大宰帥)九州赴任時に亡くした妻を偲んで詠んだ和歌)
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和歌作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 22:21 UTC 版)
あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり (『万葉集』3-328) 大宰少弐としての小野老の大宰府着任を祝う饗宴で、老自らが詠んだ和歌。長屋王の変後に大宰府で詠まれたこの歌は決して単純な平城京讃歌ではないとの指摘がある(直木孝次郎)。『万葉集』には、この老の歌につづけて詠まれた防人司佑大伴四綱、大宰帥大伴旅人、観世音寺別当沙弥満誓、筑前守山上憶良の4人による計9首が収載されている。歌の内容から、大伴四綱は藤原氏に近い立場、大伴旅人の立場はそれに対し批判的な立場がうかがわれる。なお、宴会の最後は、山上憶良が、 憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむそ と詠んで散会となった。
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和歌作品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 12:50 UTC 版)
天平勝宝3年(751年)藤原仲麻呂邸において開かれた遣唐使・藤原清河に対する餞別の宴において、「住吉に斎く祝が神言と行くとも来とも船は早けむ」と詠んだという。
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