和歌問答
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/14 13:20 UTC 版)
城門から打って出、激しい迎撃戦を展開しながら帰城しようとする難波田憲重と、寄せ手側の山中主膳の間で、次のような和歌問答が交わされたとされる。 山中 あしからじ よかれとてこそ 戦はめ なにか難波田(なばた)の 浦崩れ行く 難波田 君おきて あだし心を 我もたば 末の松山 波もこえなん 難波田は、まだ若い主君朝定への忠誠を和歌にした。実際にこのようなやり取りがされたのかどうかは定かではないが、室町時代の武士の風流を解する心が表れたエピソードと言える。現在、松山城址の搦手門の遺構とされる凝灰岩質の斜面に、このとき難波田の乗馬が駆け上がった蹄の跡と伝えられるくぼみがある。
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