和歌宮神社と和歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 16:08 UTC 版)
甲斐国の歌人である春日昌預が詠んだ和歌を収めた『春日昌預家集』に「家集」(天明5年(1785年)-寛政6年(1794年))という万葉仮名を用いた和歌群が収録されており、その史料中に「天明六年七月 駿河国庵原郡蒲原村 稚宮(わかみや)大明神奉納十二首内」とある。このことから天明6年(1786年)に春日昌預らは和歌を和歌宮神社に奉納していることが分かる。 また別史料に「駿河国庵原郡蒲原郷稚宮大明神奉納歌十二首」があり、その序文である「稚宮奉納哥之序」には以下のようにある。 打ち縁する珠流河の国田兒の浦の辺の蒲原郷なる倭歌宮の神社は、山部宿祢赤人の霊を祀るとなむ。此の神社に仕え奉る某主の乞ふる志のまにまに萬葉集の中より掻く数四十余の歌をしも書き聚め一巻となも成せり(抜粋) この記述から、十二首が奉納されたのは天明6年(1786年)秋八月であり、文自体は萩原元克の手により記されたということが判明している。これら史料から近世以前より和歌宮神社は既に山部赤人を祭神としており、また当神社が和歌と関係が深いということが認知されていたことを示している。また万葉集に造詣の深い春日昌預や萩原元克らは、山部赤人の歌(万葉集巻3-318)における田子の浦の所在地を蒲原郷(庵原郡)としている。
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