宮道潔興とは? わかりやすく解説

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宮道潔興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 16:20 UTC 版)

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宮道 潔興(みやじ の きよき、生没年不詳)は、平安時代前期の官人歌人。名は潔樹とも記される[1]修理少進・宮道真継あるいは主計頭宮道弥益の子とする系図がある。官位正六位下[2]越前権少掾

経歴

従兄弟(または兄弟)の宮道列子の孫にあたる皇太子・敦仁親王に帯刀舎人として仕え、敦仁親王即位醍醐天皇)後の昌泰元年(898年内舎人に任ぜられる。昌泰3年(900年内膳典膳に遷り、延喜7年(907年紀貫之と交替して越前権少掾となり地方官に転じた。

勅撰歌人として『古今和歌集』に和歌作品1首が収められている[1]

官歴

『古今和歌集目録』による。

系譜

  • 父:宮道真継[2]または宮道弥益[3]
  • 母:不詳
  • 生母不詳の子女
    • 男子:宮道真浄[2]
    • 女子:某 - 采女[2]

脚注

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  1. ^ a b 『勅撰作者部類』
  2. ^ a b c d 中田憲信『皇胤志』1
  3. ^ 「宮道氏蜷川家正系図」(太田[1963: 5944])

参考文献




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