君主制について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 14:39 UTC 版)
イリインのもうひとつの主な著作、『君主制について』は、生前の完成を見なかった。イリインは、現代における君主制の本質と、この体制が共和制とどう異なるかについて論じた本を完成させようとしていた。全12章構成を構想していたが、序章と7章まで完成させた時点で亡くなってしまった。イリイン曰く、両体制の主な違いは法律上のものではなく、民衆の法律に対する誠実さにあるとした。具体的な違いについて、イリインは以下のように論じた: 君主制では、法意識は国家のなかで国民を統合する。その一方、共和制においては、法意識は、社会に対する国家の役割を無視する傾向がある。 君主制の法意識は、国家を家族として、君主をパトレス・ファミリアス(英語版)としする傾向がある。一方、共和制の法意識は、この見解を否定する。共和主義的な法意識は、共和制国家における個人の自由を称賛するので、人々は国民全体を家族として認めないのである。 君主制の法意識は非常に保守的で伝統を墨守する傾向がある。一方、共和制の法意識は急速な変化につねに貪欲である。 イリインは君主主義者であった。彼は、君主制の法意識は、宗教的な敬虔さや家族といった価値観に調和するものだと考えていた。彼が理想とする君主は、国のために奉仕し、いかなる政党にも属さず、国民の信条が何であれ、彼ら全体の調和を体現する人物であった。 しかし、彼はロシアの君主制には批判的であった。1917年の帝政ロシアの崩壊は、ニコライ2世に大きな責任があると考えていたのである。イリインにとっては、ニコライ2世の退位と、それに続く皇弟ミハイルの退位は、君主制廃止と、それに伴う混乱を招いた決定的な過ちであった。 彼はまた、亡命先で新皇帝を宣言したロシア大公キリル・ウラジーミロヴィチをはじめ、他の亡命者に対しても批判的であった。
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