名古屋駅高架化と笹島線整備
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「名古屋市電笹島線」の記事における「名古屋駅高架化と笹島線整備」の解説
市内線を継承した名古屋市では、都市計画に基づく道路計画の策定や新市域での区画整理の進行、人口の増加などを背景として市電路線網の拡張を計画し、全長約58キロメートル・総工費2814万円に及ぶ新路線の建設計画を立て、1928年(昭和3年)3月31日付で計20路線についての軌道敷設特許を得た。このときの特許線の一つに「笹島線」がある。特許区間は西日置町字長島から広井町3丁目までで、その長さは1.4685キロメートルであった。 1937年(昭和12年)2月1日、名古屋駅が高架化の上、桜通の正面にあたる現在地へと移転した。移転に伴い、市電でも移転と同日付で名古屋駅前停留場(初代)が笹島町停留場へと改称する。次いで路線網にも動きがあり、同年3月14日、堀内町線の途中堀内町停留場から2代目名古屋駅前停留場へ乗り入れる新路線が開通した。この路線は笹島線ではなく「桜町西線」と称する。新線開通の結果、市電は移転後の名古屋駅前への乗り入れを果たし、笹島町(旧駅前)起点の系統を新・名古屋駅前まで引き入れることができた。 続いて1937年4月16日、笹島町停留場と名古屋駅前停留場を直結する路線として笹島線が開通した。一方、同日付で堀内町線の南半分、笹島町 - 堀内町間は廃線となる。この結果、笹島町より旧線の西側を通り、駅前ロータリー内を右折、桜通を若干東進してから在来線と合流し北上するという、笹島線・桜町西線・堀内町線(笹島町 - 名古屋駅前 - 堀内町 - 那古野町)の3路線からなる新しい経路が出現した。なおこの段階、1938年3月末現在での路線長は、笹島線423.6メートル・桜町西線55.5メートル・堀内町線400メートル(ほかに「堀内町桜町西線連絡線」55.6メートル)であった。 1940年(昭和15年)5月28日、笹島線南部の六反小学校前 - 笹島町間1.019キロメートルが開通し、笹島線は全線開通した。六反小学校前では1934年(昭和9年)に開通していた水主町延長線(水主町 - 六反間)に接続している。
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