名前の由来となった事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/09/10 10:14 UTC 版)
「ナルコテロリズム」の記事における「名前の由来となった事件」の解説
1983年に当時ペルーの大統領であったフェルナンド・ベラウンデ・テリー(英語版)が麻薬警察に対する麻薬組織の攻撃をナルコテロリズムと呼んだことに発する。ナルコテロリズムを行う者をナルコテロリスト、麻薬テロリストと呼ぶ。 コロンビアは、1950年代のラ・ビオレンシア(英語版)(「暴力」の時代)、1960年代の「国民戦線(スペイン語版、英語版)」体制を経て、1974年に通常選挙が行われるようになったが、1970年代以降の暴力の主体は左翼ゲリラ組織と麻薬組織になった。1980年代になってコロンビア政府は麻薬撲滅に政策を強化するが、麻薬組織はこれに反発するように1989年メデジン・カルテルとの大規模ゲリラ戦闘「麻薬カルテル戦争(英語版)」(プラン・コロンビア(スペイン語版、英語版)、麻薬戦争)が勃発し、大統領選挙中の8月18日にルイス・カルロス・ガラン・サルミエントが暗殺される。メデジン・カルテルは最高幹部の死亡を機に凋落するが代わりにカリ・カルテルが台頭してくる。 1990年代のセサル・アウグスト・ガビリア(スペイン語版、英語版)大統領政権は麻薬組織のテロリズムに対抗するために、憲法改正を軸とし、憲法裁判所、裁判官高等委員会、検事検察局の新設といった司法機関の制度改革を行った。これによって司法局の権限強化が図られ、法治国家としての威信も回復し、テロリズムの鎮静化は進んだが、麻薬密売活動の根絶には至っておらず、治安当局の腐敗からの脱却も達成されなかった。
※この「名前の由来となった事件」の解説は、「ナルコテロリズム」の解説の一部です。
「名前の由来となった事件」を含む「ナルコテロリズム」の記事については、「ナルコテロリズム」の概要を参照ください。
- 名前の由来となった事件のページへのリンク