各自の誇りとするものについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 18:33 UTC 版)
「饗宴 (クセノポン)」の記事における「各自の誇りとするものについて」の解説
続いて少年は、竪琴を弾きながら歌う。 皆がそれを賞賛し、カルミデスが「酒と同様に、若者の美しさと音楽の結合も、苦痛を眠らせ、愛欲を目覚めさせる」とソクラテスに言う。 それを受けてソクラテスが、「確かに彼らは、我々を喜ばす力を持っているが、私は、我々自身が「彼ら若者たちより自分たちの方がはるかに優れている」と自認しているのを、知っているし、そんな我々が一緒にいながら、互いに益したり楽しませたりすることを試みないのは、恥ずべきことではないか。」と指摘する。 「ではどうしたらいいのか」と皆に問われたソクラテスは、カリアスがソクラテス等を饗宴に招待する際に、彼自身の知恵を見せると約束したのを引き合いに出し、それを実行して欲しいと述べる。 カリアスは、皆が同じように「各々の知っている(皆も益する)善いこと、誇りを持っているもの」を披露してくれるならと、条件を出し、ソクラテス等も承諾する。 そして一人ずつ、以下のように各自の誇りを述べていく。 まずカリアスが、「正義」こそが自分にとっての(皆も益する)善いもの・誇りであると言う。(それに対して、アンティステネスが、「勇気」「知恵」は、時には友人にも国家にも有害だが、「正義」はそうなることはないと同意する。) 次にニケラトスが、父(ニキアス)に強制されて「ホメロスの『イーリアス』『オデュッセイア』を暗誦できるようになったこと」が誇りであると言う。(それに対して、アンティステネスが、吟誦詩人(ラプソドス)たちも同じように暗誦できるが、彼らほど愚かな連中は他にいないと指摘し、ニケラトスも同意する。そこでソクラテスが、それは彼らが詩の意味を知らないまま暗誦しているからであり、ニケラトスの場合は、多額の金を払ってホメロスの解釈家であるステシンブロトスやアナクシマンドロス等に教育を受けたので、事情が違うと擁護する。) 次にクリトブロスが、「美しさ」が誇りであると言う。(それに対して、ソクラテスが、それは皆を益するのか問うと、クリトブロスは当然だと応じる。) 次にアンティステネスが、「富」が誇りであると言う。(それに対して、ヘルモゲネスがその「富」の内容を尋ねると、アンティステネスは貨幣も土地も微々たる量しか持っていない(しかし、それでも自足できている)ことを告白する。) 次にカルミデスが、「貧乏」に誇りを持っていると言う。(それに対して、ソクラテスが、「貧乏」は「最も人の妬みを受けないし、争いの種にもならないし、保護しなくても無事であり、放置すれば一層強くなる」のだから魅力的だと指摘する。) 次にソクラテスが、(外港ペイライエウスで売春業が盛んなことに引っ掛けて)「取り持ちの仕事(仲介業・斡旋業)」に誇りを持っていると言う。(一同はそれを笑うが、ソクラテスはその技術を用いてその気になれば、多くの金銭を得ることもできることを知っていると主張する。) 次に道化者ピリッポスが、「笑いをもたらすこと」に誇りを持っているし、その誇りは、多くの観客を「泣かすこと」で思い上がっている悲劇俳優カリッピデスの誇りよりも、正当なものだと主張する。 次にリュコンが、「息子アウトリュコス」に誇りを持っていると述べる。 次にアウトリュコスが、「父リュコン」が誇りであると言う。(それに対して、カリアスが、「リュコンはペルシャ大王にどんなに財産を積まれても息子アウトリュコスを手放さないだろうから、リュコンは世の中で最も裕福である」と讃え、リュコンも同意する。) 最後にヘルモゲネスが、「友人たちの徳・能力・自分への気配り」を誇りだと言う。
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