収監者の処遇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 04:56 UTC 版)
「夜と霧」により収監された囚人たちは髪の毛を剃られ、女性の場合は薄い綿の囚人服、木製のサンダル、三角形の黒頭巾が与えられた。収容者たちはしばしば、ある監獄から、あからさまに手当たり次第別の監獄へ移動させられた。例えば、パリのフレンヌ刑務所(英語版、フランス語版)、ドレスデン近郊のヴァルトハイム、ライプツィヒ、ポツダム、リューベック、シュテッティンなどである。これら追放の対象者は時折、一度に80名程を一群にして集められ、食料や水も満足になく、ゆっくり動く汚らしい家畜運搬用の貨車に唯一立ちんぼの状態で詰め込まれ、次の行き先も分からないまま5日間も続く長旅を無理やりさせられた。 収容者たちの平均的一日は次の通りであった。まず午前5:00に起こされ、わずかな食事が与えられる20分間の休憩をただ除き、1日12時間の強制労働が課せられた。連合国がパリ並びにブリュッセルを解放した際、SSはこれに対する報復を決定し、一方このことは彼らは猶も可能であった。そして「夜と霧」の囚人たちは、SSにより、女囚に関してはラーフェンスブリュック、その他マウトハウゼン=グーゼン、ブーヘンヴァルト、ハルトハイム(英語版、ドイツ語版)、フロッセンビュルクといった強制収容所へと移動させられた。 収容所では、囚人たちは終日扱き使われる前にまず、毎朝5:00から数時間、凍えるような寒さと湿った状態のまま、立っていることを強制させられた。またその間気をつけの姿勢のまま立っていることを厳しく命じられた。収容者たちは赤痢その他の病気にかかり、多くは寒さと飢えの状況のまま放置された。彼らのうち著しく弱っている者はしばしば、殴殺、銃殺、断首、絞殺され、一方その他の者はドイツ人により拷問に掛けられた。1日12時間にもわたる強制労働に従事させた後、収容者が完全に疲れきった頃に、または彼らが病弱になり最早労働に従事できなくなった場合、虐殺のためレヴィアー(英語版)(独: Revier)と呼ばれる営舎(バラック)かまたは別の場所に収容者は移送される。仮に収容所自身にガス室が無い場合、いわゆるムーゼルマン(英語版、ドイツ語版)(独: Muselmann)やその他労働に適さないほど病気で弱った囚人はたびたび、殺害されるか、処刑のため他の強制収容所、絶滅収容所に移動させられた。
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