双方の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:08 UTC 版)
春の間、双方とも過去2年間で戦闘に勝利しながら補給の問題で決定的な勝利を逃し、砂漠を5回も振り子のように攻守入れ替わることになったため、兵站の構築と戦車を含む戦力の補充に専念した。 他にも戦闘の経験が生かされ、イギリス機甲師団はIV号戦車に対抗できる 75 mm砲を装備したM3グラント中戦車が配備され、またその支援部隊は枢軸国軍装甲部隊が優勢な地域であっても、戦闘中でも迅速な整備、修理が可能な体制に再編成された。また、歩兵部隊と砲兵部隊の間の連携についても再編成され、その間アーサー・テッダー (en) 中東空軍司令官は、陸軍と空軍の連携を密にし、敵戦闘機との交戦よりも戦闘中の地上部隊への支援を優先するよう砂漠空軍(en) に対し新たな指令を発した。一部の戦闘機(ホーカー ハリケーン)が爆撃機に改造され、砂漠空軍司令官アーサー・カニンガム(en) 空軍少将とその幕僚は陸軍との協力関係を密にするために、陸軍司令部へ移動した。 一方、ロンメルは速やかに兵站線を構築した。ロンメルはオーキンレックのイギリス第8軍の補給ルートがはるか喜望峰回りの14,000 mi (23,000 km)の航路で行われていることを知っていたので、枢軸国軍のイタリアから地中海経由で行われる補給ルートの利点を生かし、第8軍の準備が整う前に攻撃を開始することとした。5月下旬にはロンメルの準備が整った。これに対するガザラの防御布陣は、南アフリカ第1歩兵師団が海岸近くに、その南に第50(ノーサンブリア)歩兵師団、そして一番南の端ビル・ハケイムに自由フランス第1旅団が位置していた。イギリス第1及び第7機甲師団は防御陣地線の背後、トブルクとビル・ハケイムの中間で機動的に運用される反撃戦力として待機し、南アフリカ第2歩兵師団がトブルクの守備につき、インド第5歩兵師団(インド第4歩兵師団と交代に4月に到着した。)が予備戦力となった。
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