千人塚城ヶ池とは? わかりやすく解説

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千人塚城ヶ池

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/10 10:25 UTC 版)

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千人塚城ヶ池

千人塚城ヶ池付近の空中写真。画像中央左に見える池が千人塚城ヶ池。北側の白く見える河川は与田切川、東側は中央自動車道。1976年撮影。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
所在地 長野県上伊那郡飯島町七久保
位置
面積 3.3 km2
最大水深 10 m
成因 灌漑用
淡水・汽水 淡水
プロジェクト 地形
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千人塚公園

千人塚城ヶ池(せんにんづかじょうがいけ)は、長野県上伊那郡飯島町七久保にあるため池である。

中央アルプス国定公園に指定されているとともに、2010年(平成22年)3月25日には農林水産省ため池百選に選定された[1]

概要

戦国時代の北山城の空堀[2]を利用して1934年(昭和9年)に温水ため池として造られた。

一級河川天竜川水系与田切川から七久保用水と横沢用水から導水した水を貯水し、下流の水田約200haの灌漑を行っている。

千人塚

千人塚の由来

今からおよそ八百年程前、船山城主の臣である上沼氏がここに城を構え北村城(北山城)といった。この下の水田地帯に城下町の町張、店町等の地名が残っている。 戦国時代、天正10年2月織田信忠の伊那路攻略の際、上沼左近の守ったこの城は落ち、敵味方の遺骸武具一切を埋めて塚としたと伝えられている。その後時々悪疫が流行したため、霊の祟りを恐れ、天保15年甲辰6月千九人童子の碑を建て、以来毎年春秋2回供養を続けてきたものである。城ヶ池はもと城の空掘で昭和9年国の灌漑事業の一環として土手を築き水を湛えたもので現在は水面約3.3ヘクタール、水深は深い所で10メートルに近い。

(看板資料より)

自然

千本桜ツツジアジサイモミジが湖畔を彩り、ツバメカワウ等が飛来する。

アクセス

道路

路線バス

脚注

  1. ^ 千人塚城ヶ池 - 農林水産省ため池百選
  2. ^ 飯島町の遺跡

関連項目

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