漆沢の池とは? わかりやすく解説

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漆沢の池

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/16 09:52 UTC 版)

漆沢の池

漆沢の池付近の空中写真。1975年撮影。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 石川県七尾市西三階町
位置
周囲長 2 km
貯水量 150,000 km3
成因 灌漑用
淡水・汽水 淡水
プロジェクト 地形
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漆沢の池(うるしざわのいけ)は、石川県七尾市西三階町にあるため池である。2010年(平成22年)3月25日農林水産省ため池百選に選定された[1]

概要

七尾市の西三階町にある「漆沢の池」は、周囲2km、水深10mの能登地方最大級のため池で、邑知潟地溝帯の丘陵地の東北端に沿って流れる二級河川二宮川の左岸48haの灌漑を行っている。なお、地図上では「しぶ沢の池」と表記されていることがある。

経緯

1679年(延宝7年)には加賀藩から「村御印」という年貢割付状が出され年貢が増やされた。

1725年(享保10年)に十村制役の北村平内安仲と地元農民が、新たな水源確保に向けて「うるし沢」に当時では高度な技術であった「はがね土」(良質粘土を止水壁として基礎堰堤作成する)と呼ばれる工法で3年9カ月の歳月をかけ堤高6.1m、堤長240m、堤長幅5.0mの堰堤を築いた。

当時の様子は、「能登のお池づくり」として児童文学研究者勝尾金弥著書として1冊の書籍にもなっている。

「三階や極楽、盤若野地獄、並ぶ池崎鬼が住む」(三階は地元の村名、盤若野と池崎は近隣の村名)

と唄われたほど、この池の恩恵は大きく、近くの藤原比古神社には「治水功績碑」が建立されている。1892年(明治25年)には、堤防工事中に死者6名を出す崩落事故が発生し、1893年(明治26年)には同堤防上に慰霊碑が建立されている。地元では「お池」と呼ばれて親しまれ、毎年秋祭りには豊作を感謝して獅子舞が奉納されている。[2]

自然

池にはコイフナナマズタナゴシジミなどの多様な水生動物が生息し、冬季にはカモなどの渡り鳥湖畔にはサワギキョウハスヒシ食虫植物モウセンゴケタヌキモも見られる。

アクセス

道路

公共交通機関

  • 七尾線七尾駅下車
  • ななおコミュニティバス ぐるっと7(西コース)「西三階」停留所

脚注

  1. ^ 漆沢の池 - 農林水産省 - ため池百選
  2. ^ 漆沢(うるしざわ) - 石川県土地改良事業団体連合会

関連項目

外部リンク




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