加波山権現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 10:02 UTC 版)
山頂に鎮座する加波山権現は国史見在社の三枝祇神社に比定されているが、当初から3社であったのか、それとも3社に別れたものであるのかは不明。近世には管掌する別当寺院を異にする本宮・中宮・親宮として、それぞれが異なった由緒を持つ宮寺一体の形態とされていたが、明治の神仏分離によってそれぞれ神道専一の神社として成立した。なお、現在親宮は本宮の管理下にある。 本宮 現在の正式名称は「加波山三枝祇神社」。当該神社内において「加波山三枝祇神社本宮」を称し、また「加波山神社本宮」或いは「加波山本宮」とも通称される。旧来の信仰圏は西麓の桜川市真壁地区周辺。加波山山頂に本殿が鎮座し、その少し南側に拝殿が、また西麓の桜川市真壁町長岡には里宮としての遙拝殿がある。近世までは別当正幢院(しょうとういん)と称した。 中宮 現在の正式名称は「加波山神社」、通称は「加波山神社中宮」或いは「加波山中宮(天中宮)」。旧別当は石岡市大塚の文殊院(廃寺)。本宮及び親宮も「加波山神社本宮」・「加波山神社親宮」と名乗っていることから、現在「加波山神社」の称号をめぐって本宮・親宮と争っている状態にある。旧来の信仰圏は東麓の茨城県石岡市大塚周辺)。山頂近くに本殿が鎮座し、その少し北側に拝殿がある。また東麓の石岡市大塚に里宮としての遙拝殿(宮司は度々変わっており現在の宮司とは関連がない。社地は明治の廃仏毀釈後に旧宮司が寄進したもの)があるが、2004年(平成16年)には西麓の桜川市真壁町長岡にも新たに里宮が建立された。現在は箱根大天狗山神社と親交が深い(新里宮の資金提供者)。箱根大天狗山神社には加波寝不動明王が祭られている施設がある。旧加波山神社は現在の「加波山普明神社(ユースホステル)」で、加波山神社以前は「たばこ神社」の名称だった。桜坊にある廃墟「天狗の庭」も関連施設である。 親宮 現在は本宮の管理下にあり、当該神社内において「加波山三枝祇神社親宮」を称し、また「加波山神社親宮」或いは「加波山親宮」とも通称される。旧来の信仰圏は本宮と同じく真壁地区周辺。山頂近くに本殿が鎮座し、その少し北側に中宮拝殿に並んで拝殿がある。またかつては西麓の桜川市長岡に里宮があった(旧別当寺の円鏡寺)。現在桜川市真壁町長岡の本宮の里宮が親宮の里宮を兼ねている。 以上、加波山の山頂及び山頂付近には3神社の本殿と拝殿がそれぞれ独立して鎮座し、祭礼も別々に行われており、麓にはそれぞれの里宮もあるが、山頂付近や西麓の桜川市真壁町長岡には3神社の里宮が近接していることから、それぞれの社殿を間違えてしまう参拝者や登山者が多いという。 この3神社は独立した存在であって、寺院時代にはそれぞれ本寺を異にし、寺領を廻っての相論を起こしたりもしていたが、信仰内容に目を向けるとそれぞれが独自の信仰体系を持つ訳ではなく、以下に見るようにほぼ共通するものとなっている。また、加波山権現の3神社(寺院)鼎立についてその起源は不明であるものの、熊野修験による三山信仰(熊野三山)の影響も考えられ、または後述する近世初頭まで筑波山の一枝峰の地位に留まって独自の信仰を確立し得なかったがためにこれを統合する権威を持ち得なかった事に起因するとも考えられている。
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