前弩級戦艦艦隊の戦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:16 UTC 版)
全盛期の前弩級戦艦は、非常に多様な艦種を擁していた当時の海軍の中心であったが、旧式な装甲艦もまだ運用されていた。戦艦は、多種類の巡洋艦を周囲に侍らせていた。それは基本的に戦艦の縮小形である装甲巡洋艦や、より軽量の防護巡洋艦であり、さらに旧式の非装甲の巡洋艦や、スループ、フリゲートなども存在し、鋼鉄製、鉄製、木製などが混在していた。戦艦にとっての脅威は水雷艇であり、前弩級戦艦の時代はまた、水雷艇の脅威を取り除くために最初の駆逐艦が作られた時期でもあった。また、最初の有力な潜水艦が造られたのもこの時代である。 前弩級戦艦時代は、フランスとロシアが巨大なイギリス海軍に対抗するという、19世紀的な海軍力均衡が終わりを迎え、ドイツ、日本、アメリカ等の新興海軍国が勃興してくる時期であった。日本帝国海軍の大拡張と、それよりは小規模のアメリカ海軍の拡張は、それぞれの植民地の拡大を支えていた。 前弩級戦艦同士の海戦は、まさに前弩級戦艦の時代が終ろうとするときまで発生しなかった。1894-95年の日清戦争は前弩級戦艦が発達している時期に起きているが、関係する最大最新の艦は巡洋艦であった。1898年の米西戦争は、アメリカが前弩級戦艦艦隊で臨んだのに対し、スペイン側の戦力は巡洋艦にとどまっていた。やっと前弩級戦艦同士の対等な海戦が起きたのは1904-05年の日露戦争においてであった。日露戦争では2つの海戦が起きており、1904年8月10日の黄海海戦では明確な勝敗が付かなかったが、1905年5月27日の日本海海戦は日本の決定的な勝利に終った。 砲艦外交は、巡洋艦またはより小型の軍艦で行われるのが普通だった。1896年、イギリスは3隻の防護巡洋艦と2隻の砲艦を派遣することでザンジバルの降伏をもたらした。義和団の乱では、西欧諸国の連合艦隊には戦艦が加わっていたものの、軍事行動を担ったのは砲艦や駆逐艦、スループなどであった。
※この「前弩級戦艦艦隊の戦歴」の解説は、「前弩級戦艦」の解説の一部です。
「前弩級戦艦艦隊の戦歴」を含む「前弩級戦艦」の記事については、「前弩級戦艦」の概要を参照ください。
- 前弩級戦艦艦隊の戦歴のページへのリンク