前史:夢遊・二重意識・ヒステリー
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「解離性同一性障害」の記事における「前史:夢遊・二重意識・ヒステリー」の解説
18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパで今日の解離やDIDに相当するものは「夢遊」とも「二重意識」「人格の二重化」ともいわれた。「夢遊」というと「眠ったまま歩く」のイメージがあるが、ドゥニ・ディドロ (Diderot,D.) の『百科全書』(1765年 - 1766年)の「夢遊」の項には「深い眠りに落ちるが、・・・話し、書きなど様々な行動をとり、ときには普段より知的で的確な様子を示す」とある。また、ハーバート・メイヨー (Mayo,H.) の1834年版の生理学の教科書にある症例は「二重意識」のプロトタイプでもある。「二重意識」は19世紀の大半における診断名のひとつになった。ブロイアー (Breuer,J.) はフロイトとの共著『ヒステリーの研究』の中で、アンナ・O の症状を「二つの意識状態の交代」と呼び、「彼女は一方の状態(第一状態)において我々他の者たちと同じく1881年から1882年にかけての冬を生き、しかし第二状態においては1880年から1881年にかけての冬を生きていたのであり、そして第二状態ではその冬以降に起きたことの全てのことが忘れられていた」と述べている。 19世紀後半にはフランスの精神科医がヒステリー症状の研究の中でとらえられていた。特にパリのサルベトリエール病院のシャルコー (Charcot) が有名で、ジャネ (Janet,P) やフロイトもその影響を受けている。「解離」という概念の命名はそのジャネである。ジャネは1889年の著書『心理自動症』の中で「意識の解離」を論じ、「ある種の心理現象が特殊な一群をなして忘れさられるかのような状態」を「解離による下意識」と呼び、その結果生じる諸症状がヒステリーであるとした。そして現在のDIDと全く同じ意味で「継続的複数存在」を論じ、その心理規制を「心理的解離」と呼んだ。同じフランスの心理学者で知能検査の創案者として知られるアルフレッド・ビネー (Binet.A) も、1896年の『人格の変容』の中で「互いに相手を知らない二つの意識状態の精神の中における共存」と、現在の DIDに通じる概念を論じている。
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