前史:戦国期の佐倉地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:56 UTC 版)
詳細は「本佐倉城」を参照 室町時代後期、下総千葉氏は印幡浦(現在の印旛沼。中世には香取海と結ばれていた)に面した水陸交通の要衝である下総国印旛郡印東荘佐倉に拠点を移した(佐倉千葉氏とも呼ばれる)。将門山一帯(現在の印旛郡酒々井町本佐倉と佐倉市大佐倉にまたがる)に本佐倉城が築かれ、城下には町場が形成されて、領国支配の中心となった。本佐倉城は、現在の佐倉城の東約3.5kmに所在する。なお「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}本(もと)佐倉城」は、近世に別の場所に佐倉城が築かれ、こちらが「佐倉城」という名で定着したことから区別のために用いられるようになった呼称である。中世史の文脈では「佐倉城」と呼ぶべきという見解もあり、「中世佐倉城」とも記される。 戦国時代末期、千葉氏は後北条氏に従属し、本佐倉城も後北条氏の支城となった。天正18年(1590年)、小田原征伐に際して本佐倉城は落城し、千葉氏も没落した。
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