前史:社会党の源流
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「フランス社会党 (SFIO)」の記事における「前史:社会党の源流」の解説
フランスにおける社会主義政党の歴史は第三共和政が樹立された19世紀後半にまで遡る。1880年、ジュール・ゲードらによって労働党(POF)が結成されたのを嚆矢として、ポール・ブルス(Paul Brousse)らによる「フランス社会主義労働者連盟」(FTSF / 1882年)、ジャン・アルマーヌ(Jean Allemane)らによる「革命的社会主義労働党」(POSR / 1890年)、エドゥアール・ヴァイヤン(Édouard Vaillant)らによる「革命的社会党」(PSR / 1898年)などが次々と結成された。これに加えてジャン・ジョレスらの下院議員が独立派(無所属系)社会主義者(SI / Socialistes Indépendants)として活動しており、社会主義者は大まかに以上の5潮流に分かれて対立・抗争していた。このことは一方で労働総同盟(1895年結成)を中心とする労働運動の政党離れと、労働運動におけるアナキストおよびサンディカリストの影響力拡大という結果を生んだ。 1896年には社会主義者系の国会議員団により共同綱領(サン=マンデ綱領)が作成され、1898年には社会主義相互協力委員会が結成され、社会主義者の大同団結の機運が高まった。しかしここで彼らは無所属の社会主義者アレクサンドル・ミルランの入閣問題に直面する。すなわちミルランは1899年、保守派のワルデック=ルソー内閣に商相として入閣したが、これを支持するか否かをめぐってフランスの社会主義者は完全に二分されたのである。POFおよびPSRが入閣に反対したのに対し、FTSF・POSR・独立派は入閣を支持して両者は激しく対立、このため入閣反対派は1901年ゲードを中心にフランス国社会党(PSDF)として、入閣支持派は翌1902年ジョレスを中心にフランス社会党(PSF)として統合された。
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